LUZの熊野古道案内

je2luz.exblog.jp
ブログトップ
2008年 06月 30日

熊野の旅 にわとり

 昭和の中頃までの牛を書いてきましたが、同じ頃の農村風景の中で欠かすことの出来ない物に『にわとり』があります。
 『卵』が貴重品で病気見舞いに饅頭の箱などに籾殻を入れてその中に卵が鎮座している物が使われた時代の話です。
 その頃には『地鶏』などと言う言葉はありませんでした。
 卵をとる『バータリー形式』だとか、暗闇に閉じ込める『ブロイラー』なんてものが無く、鶏が自然に飼われていた時代です。
 日本中の農家には『鶏小屋』があり、数羽の鶏が居た物です。
 子供の雑誌の挿絵などでも、田舎を描くときには姉さんかぶりにモンペのお母さん、丸坊主か学生帽をかぶった男の子、そしてニワトリ・・・こんな風景になった物です。

 天気のよい日はニワトリ小屋の戸を開けて放し飼いにしていました。
 家の周りをうろついて虫を取ったり、ミミズを掘り起こしたりしていました。
 飼われているニワトリも色々でしたね。
 茶色の名古屋コーチン系、ちいちゃなチャボ、白黒のブリモス系、白の白色レグホン系、喧嘩鳥の軍鶏(シャモ)など、その家の好みで違っていました。
 もちろん、目的の一つは『卵』ととることです。そして、卵を産まなくなってきたら、『かしわ』にするのも目的です。
 コーチンやブリモスは卵の数ではレグホンに勝てない代わり、肉のおいしさでは飼ったようです。
 それと、農家のニワトリは雌が数羽なのに対しオスが一羽入っていました。このオスが格好付けて攻撃的に成るときがあります。
 場合によっては家の人にまで突っかかってくるのですが、この傾向は白色レグホンが一番強かったようです。そういう面でも嫌われる所もあったようです。
d0045383_11411251.jpg

 ニワトリを飼っていて一番厄介なのは、『いたち』です。
 小さな体のくせに、卵だけではなくニワトリも殺します。
 格子や網目を細かくしても地面を掘ってトンネルを作って進入します。
 それを防ぐために、我が家のニワトリ小屋はコンクリートを打った納屋の犬走りの上に作ってありました。

 このニワトリを『かしわ』にする作業が我が家ではする人が居ないので、近所の人に頼んでいました。
 さほど大きくないニワトリですから、お礼にお裾分けするとうんと少なくなっていましたね。
 食肉用の若いニワトリではなく、卵を産む回数が減ってきた『ババ鳥』ですから、やっぱり硬かったですね。今で言う『廃鶏』ですね。
 でも、うまく加工すれば本物の『比内鳥』よりうまいのだとか・・・
 この頃の『かしわ』は大体において、少し硬く、黄色い油が一杯で、『かしわくさい』物でした。
 味の濃さは、今売り出し中?の『熊野地鶏』なんか問題外でしたね。
 日本中に、こんなニワトリが居て地元でさばいていた頃には『ブランド地鶏』なんて居ませんでしたね。
 そして、ちょいとした町には肉屋のほかに『かしわ屋』があったものです。
 一体、日本中で何軒の『かしわ屋』が残っているのでしょうね?

この周辺です

by je2luz | 2008-06-30 11:58 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://je2luz.exblog.jp/tb/8192521
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]


<< 熊野の旅 田舎の昔猫 1      熊野の旅 昭和・旬の味 >>