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LUZの熊野古道案内

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2008年 06月 26日

熊野の旅 牛 3

 牛がまだ続きます。

 日本中の農家で、牛が飼われ、その牛のほとんどが『但馬牛』系統の黒牛でした。
 そして、その大多数は性格がおとなしくて使いよい『雌牛』でした。
 雄の方が大きくて力があるので農作業には良さそうなのですが、気性が荒く発情期などには危険なくらいになります。この辺では『こって牛』と呼んでいました。
 雄牛は『虚勢』しておとなしくなるようにします。この手術をそのままずばり、『キンヌキ』と呼んでいました。人間の避妊のようなパイプカットではホルモンの分泌が変わらないのでちっとも役目を果たしません。だから、『キンヌキ』をしたのです。
 キンヌキをしてもやはり少し荒っぽいのと、売るときに肉質の関係でうんと安いですから、雄牛を買う人は資本のない人でした。

 博労から買った子牛はまだまだ農作業には使えない大きさですが、めきめき大きくなります。
 最初の作業は鼻の隔壁に穴を開けて輪(ハナグリ)を通すことです。
 牛と言えば鼻輪の付いた絵を書くくらい当たり前ですが、一番弱い鼻の中に輪を通し、それを押えることで牛を制御したのです。
 おそらく、思い切りひねられたら飛び上がるほど痛いのだと思います。
 でも、あの巨体を人間が制御するには必要なのでしょうね。

 次にやるのが、『代かき』や『荒起し』と言った農作業で鋤(すき)を引いたりする作業を教えることです。これは『ノウイレ』と言いました。『能』なのか『脳』なのかは分かりませんが、ベテランの百姓さんが鋤をつけて、土を掘り返さないで・・・負担が無いように・・・田圃を行ったり来たりして何日もかけて、たずなの合図や号令を覚えさせていました。
 当然、教える人の上手下手もありますし、子牛のもって生まれた頭の良し悪しや素直さなどでそれから先の作業効率が随分違ってきます。
 良い牛だと、田圃の端に行くと勝手に止まって、Uターンしても次に歩くべき道筋にちゃんと入って歩き出すものでした。
 牛車引きの牛でも、賢い牛は親方が荷台で寝ていてもちゃんといつもの所まで荷物を引き、帰りは家まで夜道でも親方を届けたそうです。
 こうして仕込んではじめて『役牛』として使えるのです。

 この、農作業の上手さや体格の良さなどを競うのに『田かき大会』などと言うものが各地で行われていたものです。
 自慢の牛を持ち寄って、泥田の中で農機具をつけて走り回らせるのです。もちろん競技ですから、危ない金具などは付いていない見せ掛けの器具ですし、田圃も泥の浅い人間も走りよいものが使われていました。
 各地では、ものすごく貴重な田圃なのに『田かき用』として稲作を犠牲にして確保していた所までありますね。
 農村にとって大きな娯楽だったのですが、時期は短かったですね。
 耕耘機が入ってきて、牛が居なくなってきましたし、まさか、耕運機で走り回って競技する訳には行きませんからね。
 この行事を知っている人は田舎育ちで結構年をとっているってことですね。
d0045383_13543399.jpg

 この写真は1959年の道普請風景です。
 この狭い道がお寺に続く集落のメインの通りだったのです。
 今は当然指導が出来て車が走っていますが、昔の田舎の道はこんな物だったのです。
 だから、田圃に落ちるなんて当たり前でしたね。

この周辺です

by je2luz | 2008-06-26 14:07 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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