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LUZの熊野古道案内

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2008年 06月 18日

熊野の旅 200年前

 ネタが切れてきたので年表を繰ってみました。

 200年前・・・1808年・文化5年
 7月25日・・・大時化(おおしけ)、奥有馬で人家30吹崩れ、産田社の杉70本倒れ、甫母埼の地蔵堂潰れ、二木島湾で尾州の船破れ2名溺死す。
 9月・・・木本浦の定兵衛ら佐渡(さわたり)領内に杉桧を植え、伐採のとき代金は奥地に渡すことを約す(熊野年代記)
 木本若一王子遷宮、本願嘉田二右衛門、神主森兵部(神社棟札)
 この年、巡礼11.470人(熊野年代記)

 7月25日と言えば、この頃だと旧暦ですから、9月の頭頃でしょうかね。結構大きな台風が吹き荒れたようです。
 産田神社の杉が70本倒れたと言いますから、境内がすっかり明るくなってしまったものと思われます。
 その後に植えられた杉で、樹齢200年と言うことですね。
 今の産田神社境内の大杉はこの時のものかもしれません。

 9月の記載を見ると、この頃にはすでに木本の金持ちは山林経営に乗り出していたことが分かります。さらに、戦後の営林署がやった『分収林』をすでに始めていたことを示します。
 一山越えた山間部の方がまともな木が育つのは今も抜かしも代わりありませんから、飛鳥・佐渡(さわたり)に植林の場所を求めたのでしょう。
 山を植えるということは、苗代、植林費用の他に、それ以降の育林が数十年続くと言うことです。暖かな紀州では最初の10年ほどは毎年山刈りをしないと木が草や雑木に負けて消えてしまいます。
 つまり、かなりの財力が無いとこうした事業には乗り出せません。なにしろ、木が育つには二世代か刈りますからね。ことに、昔は大木に育ててからの伐採ですから、80年~120年と言うスパンでした。
 こうして続いていたこの辺の林業も一気に衰退し、消えようとしています。

 この年の熊野詣の巡礼の数11.470人とは・・・
 江戸時代には『世界遺産』なんて無かったのですがねえ。
 日本の人口も数千万でしょう?
 大金を入れて、笛や太鼓で騒ぐ観光振興より、黙って歩く民間信仰のほうが強いようです。

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この周辺です
 こちらのブログもご覧ください。
 

by je2luz | 2008-06-18 09:36 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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