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LUZの熊野古道案内

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2008年 05月 01日

熊野の旅 郷土史 地震・津波

 昨日書きましたように、およそ、郷土史とかには良くないことが一杯並びます。
 婚姻などと言う祝い事は天子様とか若殿様の婚儀でも無い限り個人的な物で取り上げられませんからね。
 このあたりでは、大きな大名家など無かっただけにそうした記録もありませんね。
 めでたいことと言えば、神社の遷宮とお寺の造営とか位が出てくるだけです。
 近年、南海・東南海地震が取りざたされていますが、目の前には大きな地震の巣を抱え、すぐ後ろにもそこそこの大きさの活断層を抱える紀伊半島ですから、記録にとどめられているだけでも随分の数の地震と津波がありますね。
 古くは天武14年(685)に地震と津波が記述されているようです。この一帯に津波が来て大きな被害が出たようです。それ以降、慶雲元年(704)、慶雲4年(707)などは『日本書紀』が出来た年、養老4年(720)より前のものですね。
 それ以降も天平6年(734)、天平勝宝5年(753)、天長4年(827)、斎衝2年(855)など、立て続けに出てきます。
 中には地盤が1mほど隆起したとかと言うものもあるようです。
 鬼ヶ城や獅子岩が海中から姿を現した所ですから、不思議ではないですがね。

 記録の中には倒壊戸数や死者数などまで記載された物があるようですが、一番新しい、昭和19年のものの記録が一番いい加減なようです。
 戦局が険しくなった時なので、『国民を動揺させ、敵国を利する恐れあり』と言うことで、軍部が記録の公表はおろか記録の破棄まで命じたようです。
 新聞記者などの撮影した写真なども没収され、隠し持っていた物がほんの少々残っているだけです。
 この隠ぺい工作の効果でこの地震、津波の被害の大きさは他所の人どころか地元でも消し去られてしまいました。
 集落集落で、『ここまで津波が来た』『どっさり死んだ』『牛まで流された』などと言うあやふやな記憶が残されました。
 そして、この地震を経験した人もほとんど居なくなって来ています。
 10歳の子供だった人でも74歳と言うことですからね。
 こうした記録を見ても、七里御浜沿いの集落はリアス式の入り江の奥にある集落に比べ津波の被害はうんと少ないようです。

 熊野古道歩きは峠道ばかりです。
 『山が割れ、大岩が転がった』と言う記録もありますが、よほど運が悪く無い限りそういうものには遭遇しないでしょう。
 新宮の神倉さんから火の玉が飛び出して海に飛んでいったなんて記録もありますがね。
 大都会で地震に遭うよりは田舎の方が逃げるのも簡単ですし・・・
 
 と、言うことで、熊野の歴史ではこうなっていますが、びっくりしなくても、全国どこの歴史でも良く似たものですよ。地震の無いブラジルなら別ですが、日本列島に住んでいればね。
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この周辺です

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by je2luz | 2008-05-01 11:01 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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