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LUZの熊野古道案内

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2008年 04月 16日

熊野の旅 南朝終焉の地 飛鳥

 歴史に出てくる、南北朝の争い・・・
 今の朝廷は勝利した北朝の流れをくむらしいですね。
 都を追われて南に落ちた側を『南朝』と呼ぶわけですが、最初はこんな南まで逃げてきたわけではなく、桜井のあたりから争いのたびに南に下がり、最後は散り散りになって行ったようです。
 その南朝が滅びたあとの最後の末裔と言われる『尊雅王』と言う人が亡くなったのが、熊野市飛鳥町神山(こうのやま)だそうです。その菩提は『光福寺』に祀られています。
 このお寺には南朝にまつわる書付などもあるようですが、なにせ、歴史から消えた南朝のことなので、あまり大々的に取り上げられたこともありません。
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 このお寺は国道309号線沿い、昨日の『日進小学校』の近くにあります。
 ネットやガイドブックの中には国道169号線沿いとありますが、前にも書いたように、国道の路線変更でここの道は169号ではなく309号になっています。
 『光福寺』は小さいながらも山門を持ったお寺です。
 宗派は、この辺のほとんどのお寺と同じ『曹洞宗』です。
 このお寺に残されている『尊雅王』の位牌とかは熊野市の文化財に指定されているようです。
 南朝伝説は同じ飛鳥の大又にもあり、、『尊雅王』の兄の『尊秀王』の位牌が残されています。
 地元では・・・少なくとも、興福寺ご住職の秋田殖康の調査の範囲では・・・南朝終焉の地に間違いないだろうといわれています。
 南朝のことは、和睦したとは言え、北の朝廷が続いてきたので、何百年もの間、半分タブーのような物でしたから、良くわからなくて当たり前かと思います。
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 カメラは フジかST605N
 レンズは シュナイダー・クルタゴン35mm2.8

この周辺です

by je2luz | 2008-04-16 11:08 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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