LUZの熊野古道案内

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2008年 04月 09日

熊野の旅 寄り道 田本研造 生家

 熊野市から出た人で一番有名かもしれないのが、写真師・田本研造です。
 函館戦争当時の榎本武揚や土方歳三などの写真を撮ったり、開拓時代の北海道の写真を沢山残した人です。
 日本における写真術の先駆者として、その筋では有名な人です。
 この人の写真術は、ロシア人医師に習った物だそうです。
 田本研造さんは天保3年(1832)に牟婁郡神川村(現熊野市神川町)で生まれました。
 最初は長崎に出て医学を学びだしたそうですが、次に赴いた函館で凍傷に罹り一命を救ってくれたロシア人医師ゼレンスキーから本格的な写真術を習ったようです。
 それ以降、写真師として活動を続けたようで、北海道に関わる古い写真は彼の手による、もしくは彼の弟子たちの手によるものがほとんどだと言われています。
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 これが彼の生家跡です。
 今は建物も無く、一部は植林までされていたのですが、近年、木も伐採され熊野市の史跡として指定されました。
 写真と言う分野ですし、世の中ではあまり大変な技術ではないと思われているので、地元の熊野市でも『知る人ぞ知る』程度の人になってしまっています。
 日本中の写真館のご主人の中には、この人の弟子、孫弟子と言う方が沢山居たはずです。新宮の写真館の一軒もこの人の弟子だったといわれています。
 時代が時代なので、カメラマンではなく、写真師でした。
 人物写真や記念写真、風景写真が主で、作品展を開くよう物では無いのは確かです。だから、写っている物や写っている人物が貴重なのであって、写真師は完全に陰に隠れてしまいます。
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 彼はこの家で育って、長じてここを離れてからは、大正元年(1912)に81歳で亡くなるまで、この地に戻ることは無かったようです。
 この石垣の造りはこの周辺何処にでもある形の物です。
 屋敷の角っこに少し高い所を作ってあります。
 私の育った家の石垣もそうでした。
 まるで、見張り場所のような感じなので、良くここに上ってあちこち眺めていたものです。
 おそらく、田本研造少年もここに立って、見張り気分になっていたことかと思います。
 時代が時代なので、わたしの子供の頃の腰に挿した竹の棒とは違う感じでしょうが、おそらく、竹か木の棒を持っていたことだと思います。

 場所は神川町の郵便局の脇を柳谷に向かって入ったすぐのところにあります。
 普通の観光コースとは全く違う場所なので、他所の方が通りかかることもほとんど無いと思いますが、駐車場も整備されています。

この周辺です

by je2luz | 2008-04-09 13:29 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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