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LUZの熊野古道案内

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2008年 03月 30日

熊野の旅 木本と有馬

 近代のこの地方の中心は「木本」です。
 隣接する「有馬」はそれに付随する郊外のような感じです。
 昭和の大合併の前の状態では、木本は『木本町』であり、有馬は井戸と一緒に『有井村』を形成していました。
 旧国道沿いには家並みが続いて、ちょいとした『街』の感じでしたが、背後は沼地を抱えた田園地帯でした。

 古代となると、奥有馬、『産田神社』の近くなどには人間が暮らした形跡が沢山あるようですし、木本周辺でも水のあるところには同じように縄文だなんだと形跡があるようです。
 歴史が残る時代になってからでは、坂上田村麻呂が攻めてきて、鬼退治したのは木本のようです。
 退治された、『多娥丸』(たがまる)なんて豪族?海賊?の根城が木本だったとかですから、多分、木本のほうが勢力を持っていたのでしょうね。
 もう少し下るり、室町だ戦国だと言うようになると、領国の支えは米であり田圃となりますから、この辺を押える豪族は有馬の方が主力だったようですね。
 ほんの少ししか田圃の無いこの地方ですから、いくら頑張っても大きな豪族にもなれませんが、有馬の戦国大名が北は紀伊長島あたりから南は紀伊田原まで手を伸ばした時代もあったとか・・・
 たしかに、南紀州ではまともに田圃の広がる所はほとんど無いのですから、有馬から近隣の志原、市木など沼地がらみの水田が開発できた土地のあるところが、強かったのかもしれません。

 江戸時代に入り、きちんと紀州公が納めるようになって、『奥熊野代官所』が木本に置かれ、落ち着いてきてからが木本が栄える時代になったのでしょうね。
 鉄道も、有馬で終点にせず、岩山をくりぬいて木本まで伸ばしてくれたことも、昭和の反映を作り出してくれたのでしょう。
 
 ここら辺には、『古城跡』は点在しますが、『城』と言うよりは『砦』といった風な、山城の跡ばかりです。
 『城郭』を構えるようなお殿様を支えるほどの土地でもなかったと言うことです。
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 カメラは ミノルタ・ミノルタ・オートコードL
この周辺です

by je2luz | 2008-03-30 11:23 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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