隣りの尾鷲市では、今、市長選が行われているようです。
隣りと言っても、負わせと熊野の間には『矢の川峠』と言う難所があり、昔から交流の余り無いところでした。
鉄路の紀勢線が全通したからと言って、熊野・木本の人が尾鷲に行く必要も無いので交流に変化は生まれませんでした。
昭和40年代中頃に、国道42号線の改修が出来上がり、808mの峠越えだったのが、『矢の川トンネル』、『大又トンネル』の日本の長いトンネルで結ばれるようになってからは、自家用車時代に入ったこともあり、尾鷲を通ることが増えました、しかし、『通る』だけで『行く』のではありません。
役所の統合で、『税務署』が尾鷲にしかなくなってからは、底に出向かなくてはならない人が増えました。
今話題の『社会保険事務所』も尾鷲にしかありません。
ともに、旧北牟婁郡、旧南牟婁郡を所轄するものですが、元々、呼び出されてありがたいところでも無いので尾鷲の魅力をアップする所にはなりませんね。
負わせというところは、『観光』の面では人を呼ぶ物の少ない所です。
昔々、それこそ遠い昔の昭和42年にHNKのドラマで日色ともえさんがスターになった『旅路』が放映された時には、尾鷲の旧家土井家の竹林、『土井竹林』が客を呼んだことがありますが、これとて一時的なものでした。
それ以降は、出力の大きさでは第一級の『尾鷲三田火力発電所』の煙突が誇らしげに聳えて、市街地何処からでも見えるようになっても、観光資源ではなし・・・
日本列島改造論の頃には。高島屋・南海電鉄系の『おわせ・サンポートホテル』が出来ましたが、全く採算が合わず、早々に閉鎖なりました。
それ以降も、『リゾート法』の時も企画が上がりましたが、実現せずで終わりました。むしろ、これは実現しない方が尾鷲にとっては良かったはずです。
近年では、『世界遺産』指定で降って湧いた関連事業で『熊野古道会館』などが出来ましたが、金には結びつかず・・・
世間に飽きられた頃に作った『深層海洋水』の施設も、利用が進まず大赤字とか・・・
それに、公害と引き換えに大量の雇用と、従業員の流入を図った火力発電所も、オートメーション化と合理化で、従業員がまるでいなくなってしまいました。
隣町とは言え、お気の毒を絵に描いたような状態です。
これは、個々の事業は違っても、わが熊野市も似たり寄ったりですね。
どちらの町も、相も変わらず、箱物建設すれば地域活性になるとお考えのようです。
熊野古道なんて金になるはずも無いのに・・・
でも、金になるという事業計画を作らないと予算は付かないし、市民にも説明できませんからねえ。