LUZの熊野古道案内

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2008年 03月 12日

熊野の旅 伊勢湾台風と復旧・防災工事

 昨日の写真は、伊勢湾台風の後に急遽実施されてかさ上げされた堤防と、その後にその外に付け足された新堤防のものでした。
 今日の写真は同じ場所で、レンズを古い写真のときに近いものに変えて撮った物です。
 当時はニコンFにニッコール105mmだったのですが、今はそのレンズが手元に無いので、ニコンFにニッコール85mmをつけて撮りなおしました。
d0045383_1213092.jpg

 昨日の写真の上のものとほぼ同じ場所で同じ向きにとってありますが、堤防左側にあった、ごちゃごちゃした小屋などはすっかり無くなり、このように国道42号線があります。
 右側も、すぐそばまで浜があったものが、新しい堤防で浜が写らないほどの幅になっています。
 この新堤防は、十数年前に計画されて作られましたが、高さが旧堤防と同じで前に出たものです。
 その高さの基準は、『伊勢湾台風級に耐えられるもの』と言うことだそうです。
 三重県などで、災害対策で良く引き合いに出されるのが、この『伊勢湾台風』なのです。
 それだけ、歴史に残る大災害だったわけです。

 伊勢湾台風の前から木本堤防のかさ上げは段階的にやられていました。しかし、伊勢湾台風では旧堤防を波が越し、我が家の裏、今の国道部分にあった、作業小屋やアパートが一発目の波で大きくゆれ、二発目で崩れて流れました。
 我が家にはそういう時のための石垣があったので、私はおっかなびっくり覗いていてそれを目撃しました。そんな危ないものを目撃したのも私が若かったからでしょうね。
 伊勢湾台風によって、和歌山県潮岬付近から三重県全域、そして愛知県に掛けての海岸線が徹底的に高波にやられました。
 総延長300KMを越す海岸線がやられたわけですが、巨費を投じて災害復旧・防災工事が行われました。
 それにより、随分、建設業が潤い、景気も回復したものです。
 それを幸運に変えたのが、時の三重県二区で若い代議士だった『田村元』です。
 台風が通り過ぎて、交通網もずたずたになった松阪以南、南牟婁郡までの被災地を長靴履きで徒歩や漁船などを乗り継いで視察に回り、その速さは役所の比ではなかったそうです。
 そして、早急な災害復旧と巨費を動かすプロジェクト・・・
 それから、衆議院議長を経験し、引退するまでの地盤を一気に作り上げました。三重県二区では「田中角栄」ばりに神様に見えた人も結構多かった大物代議士になりましたからね。

 ところで、何かと言うと『伊勢湾台風にも耐えられる』と、県などが言うのですが、肝心の『伊勢湾台風のときのデータ』なるものは存在しないのです。
 参考にされる『波高』はなんと、内海の『松阪港』の物なのです。
 当時に観測するポイントはそこしかなかったのですが、松阪港は伊勢湾の中です。関東で言えば、東京湾に入った『横須賀港』で測ったものを、伊豆半島に当てはめるようなものです。
 恐ろしく、当てにならない基準と言うことです。
 現に。この、『伊勢湾台風級に耐える新堤防』は完成直前に、高波が三箇所で越しました。
 それも、名を残すような台風ではなく、房総沖を進む、『台湾坊主』の余波でした。
 波長の非常に長い波でしたが、快晴で空は穏やかな状態で波が越してきました。
 自然の力はものすごいです。
 これも、私の家のすぐ裏でも越しましたから、目撃しています。
 二重堤防なので民家には被害は出ませんでしたが、堤防に波が当たる地響きとともに、水が盛り上がって見えて越えてきましたね。
 その事実があってすぐにここを所轄する『旧運輸省』に陳情に赴き、すぐの着工してもらったのが、現在進行形の『潜堤工事』です。
 これが完成すれば、かなりの所、安心できるのですが、十年経っても、基礎のほんの一部しか出来ていません。効果がでるまで、あと何十年工事を継続してもらわなくてはならないやら・・・
 それに、潜堤は水の下なので、目に見えない代物です。写真にもなりません。
 カメラは ニコンF+85mm
この周辺です

by je2luz | 2008-03-12 12:42 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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