1959年・昭和34年と言う年は、日本中が大きく変わる節目になった年です。
出来事としては大きな事件でも無いのですが、当時の皇太子殿下の『ご成婚式』のあった年です。
『ミッチーブーム』なんて野もありました。
しかし、そのことが日本を大きく変えていったわけではありません。
これが、当日のテレビ放送を撮影したものです。
小さな丸っこいブラウン管の白黒テレビです。
この『ご成婚式』をリアルタイムに見られるということで、『テレビジョン』が一気に全国に広がったのです。
起伏の激しい日本ですから、関東平野や大阪のように簡単に受信できるわけではありません。
遠くの放送局の電波を山や岡に登って探し回って共聴アンテナを建てたのです。
ここ木本でも、この少し前に共聴アンテナが作られ、アンテナ線が惹かれましたが、『テレビジョン』のある家はほとんどありませんでした。
しかし、1959年4月10日に御成婚の式が決まり、馬車行列もあると分かってから、一気にテレビを買う家が増えました。
我が家でもこれをきっかけにテレビジョンがすわるようになりました。
それでも、今のように全部の家が買うような時代ではなく、田舎では十軒に一軒くらいだったはずです。
家電は全国平均で15%とやらの普及率を越えると一気に爆発するとか・・・テレビもこのイベント一つでその壁を越えて行ったようです。
テレビが普及し始めると、ニュースも映画館で見る古いものではなく、その日のものが直に見えます。俳優や役者のファッションも毎日見られます。平凡や明星の愛読者しか目にしなかったファッションも『ド田舎』でもみられるようになりました。
毎日毎日、『標準語』を耳にするようになりました。
これにより、徐々に全国の均質化が進み始めたのです。
この年がその出発点だったようです。
見方によれば・・・
『一億総白痴化』のスタートした年かもしれません。
この年の流行歌は・・・
『お別れ公衆電話』 松山恵子
なにも言わずに このままそっと
汽車に乗ろうと 思ったものを
駅の喫茶の 公衆電話
いつかかけていた