LUZの熊野古道案内

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2008年 02月 25日

熊野の旅 1959年木本海岸堤防

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 この写真は昭和34年3月の熊野市木本町海岸堤防と七里御浜のものです。
 昔の石垣で積まれた町の地盤とほぼ同じ高さの護岸、その上に載っているコンクリート製の堤防、そして、このときには更に数十センチのかさ上げ工事を行っています。
 場所は後ろに松がありますし、我が家のすぐ横、今の『モスバーガー』のある辺りです。
 この時代には、一番下の石垣部分が大きく露出しています。相対的に浜が低いと言うことです。

 日本列島は東西方向を軸に南北方向には周期的に太平洋側が上がって日本海側が下がる、太平洋側が下がって日本海側が上がる・・・と言う動作を繰り返しているようです。
 このことは余り取り上げられませんが、プレートの運動で紀伊半島などが引きずり込まれて下がり、外れると跳ね上がってくると言うことでしょう。
 この少し前、昭和19年とかに東南海・南海大地震があって、プレートの開放があった後なので陸地が少し高いのかもしれません。
 浜が痩せていたのではないのは、この当時のほうが波打ち際に行くのが大変だったので間違いありません。
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 これは、その工事のアップ写真です。
 『生コン』だとか『ミキサー車』などと言う近代兵器の無い時代ですから、発動機を回して手作業ですね。
 写真でも分かるように、この頃の土木工事の現場では女の人もたくましく働いていました。
 近年、建設現場などへの女の子の進出がテレビなどで「新しい現象」のように報じられますが、『よいとまけの歌』ではないですが、現場で女の人がたくましく働くのは昔の方が多かったものです。
 この工事では砂利か現地調達でまさに『海砂利』でやっていますね。
 おそらく、下のコンクリート堤防も同じようにして作ったものと思われますが、取り立てて障害は起きていません。
 海の底から採取するのではないので塩気は雨などで流されて問題のないレベルになっているのでしょうね。

 こうした、なんでもない風景を撮った写真が非常に少ないのは趣味の問題もありますし、まだ、高校1年生の私では町を記録するなんて考えは全く無かったからでしょう。
 半世紀ほども経つと、こうした写真のほうが同級生の女の子を隠し撮りした写真よりはずっと貴重なのですが・・・

 カメラは オリンパス35S1.9
この周辺です

by je2luz | 2008-02-25 11:37 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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