昭和33年1月の写真です。
場所は奈良県吉野郡下北山村浦向(うらむかい)バス停です。
古い映画に出てくる一齣のような光景ですね。
田舎の駄菓子やらなんやらなんでも売っているお店の前に集まった子供たちです。
決して田舎の子だけでは無いのです。奈良市から親の里帰りにくっついてきた子もいるのです。
時代が時代ですから、今から見ると全部田舎臭く見えますね。
ご覧のように、磯野家の『わかめちゃん』のような刈り上げたおかっぱがその時代の小さいこの標準スタイルでした。
もう少し時代が下って、昭和37年に東京で撮った子供の写真でも、今から見ると田舎風ですからね。
この写真を撮ったのは、私が中学三年生です。この子達で小学の高学年から低学年に掛けてですね。
この時代、お正月ともなると、ものすごく不便で、ものすごく時間が掛かったのに、都会に出た息子や娘がほとんど全員里帰りしたものです。
田舎の人口が二倍にも三倍にもなったのです。
つまり・・・長男の嫁が『本家の嫁』をやらなくてはならない時代だったのです。
お母さんたちの様子もこんなものです。
『パーマ』が日本中に広がって、皆さんちりちり頭にした時代です。
つまり、日本中に『パーマ屋』が出来て『髪結い』が消えた時代ですね。今では、その『パーマ屋』が『美容室』とかに化けているようです。
生活の方では、『新生活運動』などが盛んになって、日本中の台所から『おくどさん』が消えて行った時代です。
道路は日本中砂利道で『車線』なんて物の無かった時代です。
ここは、母親の里なので、お盆と正月には『お礼』に行かされました。
木本から浦向まで、奈良交通の満員バスで二時間半くらいだったのでしょうか・・・
あまり、バスに強くなかった私にはしんどいものでしたが、一泊か二泊して、帰りにもらえる『お駄賃』が楽しみで、道中の苦しさに耐えたものです。
上の写真の中に、後に女房になった子が写っていたのです。このときにはそんな風に見えなかったのですがねえ・・・
カメラは
オリンパス35S1.9
この周辺です