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LUZの熊野古道案内

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2008年 02月 12日

熊野の旅 紀州路に共通するもの

 紀州路、南紀は非常に広大な地域です。
 人の住むところ、住める所は限られていますが、荒磯と山々との間にポツポツと集落が点在しています。
 熊野市から同じように『南紀』と言われる『南紀白浜』まで110Kmほどもあります、
 北方向には南紀の出口、荷坂峠まで60Kmほどです。
 和歌山側ではまだまだ先まで『南紀』です。
 この長い南紀の道筋をたどって、その小さな集落に入ると、なんだか良く似た光景になります。
 これは気候風土も似ていますし、長く同じ紀州藩に入っていたと言うこともあるでしょう。
 大きなお屋敷などはほとんど無く、こじんまりした家が石垣に囲まれて細い道に面した立っている・・・これが、100Km以上も離れた集落が同じようにに感じられる要因なのかもしれません。
d0045383_11133216.jpg

 大きなお屋敷が少ないので、巨石を積んだ大層な石垣も少ないです。
 このような、切石で積んだ丹念な石垣は一寸町風な家並みの集落に多く見られます。
 ポツポツと家が点在する所では、自然石を積み上げた石垣が多くなるのも共通点です。
 石垣島の家の周りの石垣のようには高くはありません。石垣で台風の影を防ごうと言うほどのものではありません。
 海岸の最前線の家のものは、高波に備えているような感じのものもありますが、そのほかの場所ではその必要もなし・・・
 かといって、門も構えて防犯に努めているわけでもなし・・・
 隣との境界を主張しているわけでもなし・・・
 役割よりも、一つの『定番』として、石垣が作られてきたようです。
 昭和の中頃からはこのようなきちんとした石垣は、壊されることはあっても作られることは無くなりました。
 作られる物は、巨石を組んだ今風お屋敷の石垣や化粧ブロックの塀くらいになりました。
 建物も、台風の風を警戒した、『切妻』の質素な物が多かった南紀にも今風の建物が建っています。
 これは南紀だけの話では無いのですが、気候風土によって生み出され、自然と出来上がって行った地域性のある集落の佇まいがどんどん薄れてゆくと言うことです。
 全国が均質化され、金太郎飴化してきたわけです。
 旅をしても、同じ光景の中を大急ぎで移動し、観光スポットと言われる場所を飛び飛びに見て廻るだけと言う今流のスタイルが多くなっています。
 あちこちに残る、その地方の特徴に気が付く旅人も減ったようです。
 被写体を探して、きょろきょろ路地裏まで覗き込むようなカメラマンなどはそうしたところに目が行くことも多いようです。
 考えようによっては、そうしたものに腰をすえてカメラを向けるほど、『らしい・・・風景』が少なくなったと言うことなのでしょうね。
 カメラは ローライフレックス・オートマットX
この周辺です

by je2luz | 2008-02-12 11:41 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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