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LUZの熊野古道案内

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2008年 01月 19日

熊野の旅 視点を変えると

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 このトンネルは紀勢線『熊野市駅』を上り方向に出発して、すぐに入るものです。
 トンネル自体は戦前に抜けていたはずです。
 しかし、ここを旅客列車が走るようになったのは、紀勢戦全通の直前に『新鹿駅』までのローカル便が走るまでありませんでした。そして、本格的に使われたのは1959年(昭和34年)の全通の時でした。
 その時に、『紀伊木本駅』は『熊野市駅』に改称され、それまでの蒸気機関車も全面ジーゼル化で姿を消し、矢の川峠越えの連絡国鉄バスも姿を消しました。
 これによって、行き止まりだった鉄路がつながり、尾鷲との間も2時間ほど短縮され、名古屋東京もうんと近くなりました。
 『陸の孤島』といわれた、地域もほんの少し便利になりました。
 当然のように、大騒ぎで祝賀会も行われました。

 それまでは木本は行政は三重県なので東海圏で、経済は大阪経済圏だったのですが、徐々に東海に移っていったのです。
 何より変わったのは、他所の人がここで下車することがなくなったという事です。
 木本が栄えたのは、その不便さゆえの面もあったのですから当然の結果なのです。
 交通の便が良くなって寂れてゆく・・・これは全国あちらこちらで見られたものです。
 北陸線と輪島線の分岐点の津幡なども、列車が早くなって便利になったときに急速に衰えたようです。
 便利になると、特別何かがあるところ以外は、皆さん通過するようになります。運び出すものがあるうちは、物はどんどん運べ出されます。地元の人は、一寸した買い物でも大きな町へ買いに行くようになります。
 おまけに、列車は準急も急行もなく特急ばかりになって行きました。細かい所は停まりもしません。
 こうした現象は、道路の場合でも起きています。
 道路が良くなり、高速道路が出来ると、どんどん物は素材のままで運び出され、小さな観光地は通過され、お金も落ちなくなります。
 拠点間の移動はスムーズになるのですが・・・

 視点を変えると、こうした見方も出来るのです。
 もうすぐ、高規格道路も出来るそうです。
 これと言って迎え撃つ体制のない田舎では・・・
 干物にするサンマさえごっそり生のままで買い取られて、細々稼いでいた加工賃すら落ちなくなる可能性があります。
 こうした現象は、高速道路網が整備された全国で起きていることなのです。
 日陰の部分は報じられることはないですがね。

 希望の扉に見えたトンネルも、過疎への入り口だったのかも・・・

この周辺です

by je2luz | 2008-01-19 10:17 | 熊野 | Trackback | Comments(2)
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Commented by こんばんは。はじめまして。 at 2008-01-20 22:00 x
いつも読ませて頂いております。初めてコメントいたします。
私は新宮出身の者です。
紀勢本線の全線開通が昭和34年。他の地域では電化,複線化が進み,昭和39年には東海道新幹線が開通する時代にやっと開通した紀勢本線。その近代化の波とは裏腹に木本の町を人々が通過するようになっていったという現実にはっとさせられました。
新宮でも高速交通網の整備が悲願ですが,実際に高速道路で結ばれた後の社会はどのようになっていくのでしょうか。今は夢物語でしかありませんし,一刻も早く繋がって欲しいのですが,その頃の紀州の姿はなかなかイメージできません。だんだん元気が無くなっていく故郷が心配でなりません。
Commented by je2luz at 2008-01-22 11:57
 住む人や帰省する人には便利ですが、産業なんて余り関係ないですね。
 うんと遠い、中国奥地との競争に都会に近くて交通の便の良い所でも太刀打ちできないのですからね。
 地域振興だとか工場立地なんてのは、土木事業をするための口実の一つです。
 第一、南紀には平地がないです。だから土地も異常に高いです。


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