LUZの熊野古道案内

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2008年 01月 15日

熊野の旅 木本の街づくり

 日本の町と言うものには都市計画は無い・・・なんていわれる学者まで居られますが、日本の古い町には立派な街づくりの青写真があったように思われます。
 中国に学んで整然とした街づくりをした奈良時代の昔から、逆に城下町は城下町でそのややこしさが都市計画だったわけですからね。
 田舎町でも、城下町ではない所では、メインストリートと、それに交差する道、更に路地などを、割りと整然と配置した所が多いです。
 パリなどは大改造されるまでは、下水も無いくせに汲み取り式便所も無いひどい町だったようです。おまるで採った糞尿を石畳の通りにぶちまけたとか・・・
 日本では、コンクリートが入ってくる前から、『桶』と言う優秀な容器を使って、汲み取り式便所が普及して行き、街場の糞尿も近郊の農地に還元されると言う、非常に合理的な方法が確立して行きました。
 洗剤などと言う有害物質を使わない時代は、下水なども桶や甕に溜めて、農地に戻す工夫がされている所が多かったものです。
 大東京でも、都心部の糞尿を郊外の農地に運ぶために、電車を作ったとまで言われます。『東上線』などを『汚わい電車』と『呼ぶお年寄りが昭和40年ごろまでは居たものです。
 結構古くから、こうした街づくりがなされてきていたわけですが、日本は土地が狭いからか、馬車と言う交通手段が普及しなかったからか、道は全般的に狭いですね。
 余分な物は『もったいない』と思えたのでしょうかね。
 木本のように、土地が狭い所ではなおさらそう思えたのでしょうか、計画的に作られたはずの『路地・せこ』がものすごく狭いです。
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 人がすれ違うのでも、お互いに譲らないとぶつかるほどの物ですが、きちんと、直線で伸びています。そして、通り抜けられるのです。
 戦後分譲された都市近郊の宅地のように、屋敷と屋敷が背中合わせで、一方にしかでられないようなことにはなっていません。
 どれだけ建て込んでいても、必ず裏側にも出られる配慮はされています。
 これは、防災上も十分に配慮された街づくりです。
 こうした街づくりがなされた所ですから、旧来の『番地』も割りと整然とつけられています。
 熊野古道の『松本峠』を下ってきて橋を渡ったところを『1番地』として、本町筋沿いに番号が増えています。
 本町のはずれで300番台です。それから山手に移って引返しています。
 割りと整然としていることもあるし、狭い町なので不便も少ないし、何より膨大な金はかけられませんから、今流の『住宅表示』にはなっていません。
 その代わりに、住所には正式には存在しない『町名』を慣用的に使っています。
 『親地町』『一丁目』『二丁目』『三丁目』『関船町』『布袋町』『新出町』『井筒町』『栄町』『切立』『寺町』『西川町』『新田』などと、この狭い町を呼び分けますから、その町内まで行けば全部の家がご近所なので分かりよいのです。
 これも、立派な街づくりの一つでしょう。
この周辺です

by je2luz | 2008-01-15 11:42 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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