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LUZの熊野古道案内

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2008年 01月 09日

熊野の旅 熊野の味 初音寿司

 熊野と言う町、木本と言う町は、交通が不便だった頃に栄えた町です。
 大正末期には新宮方面から名古屋・東京に向かうルートとして、新宮から木本(上木本)乗り継ぎで尾鷲までのバスが繋がり、汽船も一日何便も走るようになり、交通の要になったからです。
 鉄道の時代になり、昭和15年に国鉄紀勢西線が開業しても、ここ『紀伊木本』が終着で、乗り継ぎとしての立場は変わりませんでした。
 おかげで、温泉も無いのに『宿屋』もたくさんありました。海が荒れれば船は出ない、大雨ならバスは出ない、冬になれば矢の川峠の雪でこれまたバスは出ない・・・不便さが町を栄えさせたのです。
 こうして栄えた町ですが、観光客とかではなく、足止めを食った旅人とか、車酔いで一気に尾鷲まで行けないとか言う人が多かったのですから、滞在客とかではなかったものです。
 それでも、町が栄えたので、料亭も何軒かありました。鉄道が出来てからは、『駅前食堂』も何軒か出来ました。
 とりたてて、これといった名物料理があるわけでもないし、『大衆食堂』だけでした。
 もっとも、戦時中とか戦後にかけては、『米の配給制度』がしっかりしていたので、『外食券食堂』以外は本来『飯』も出せなかったのですから、まともな食堂は育つはずも無かったわけです。
 戦後落ち着きを取り戻しだした時に、一躍『木本名物』になった食い物屋があります。
 『初音』と言う寿司屋です。
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 この、写真にある小さな建物が『初音鮨』だった所です。
 江戸前風のもので、ネタの上に『甘たれ』が塗ってあるものでした。
 えらく職人気質の親父さんで、『ネタ』にこだわり、ことに『シビ』にものすごくこだわる人でした。
 『シビ』の良いものが無い日は寿司屋は休みました。普通の日でも、営業はお昼過ぎまででした。それが人気の元でしたね。
 配達をしてくれましたから、店で食べるのではなく、自宅で食べることも多い寿司でした。
 木本では、大事なお客さんが来ると『初音の鮨』を取って出すのが、最高のもてなしでした。そして、近郷の人は『初音の鮨を腹いっぱい食べる』のが夢でした。
 昭和60年頃まで続いていたように思います。
 最後まで、『シビ』にこだわり、一桶全部マグロだけの『赤』が『初音』ならではの味でした。

 この『初音』に始まった、木本の寿司好きは今も続いています。
 やたらと『寿司屋』の多い土地なのです。
 『千代寿司』『松屋鮨』『くるま鮨』『栄寿司』『寿司丸』『福すし』+回転すし2軒などあります。
 ファミレスが一軒も無い町なのですがねえ・・・
 競争が激しい分、おいしいらしく、一時は新宮からもわざわざ木本へ鮨を食べに来た人もたくさん居たものです。
 『寿司屋は高い』『寿司屋は怖い』と言う向きもありますが、この辺の寿司屋はそんなことは無いでしょう。
 と、言うより、すしを食わなければ食うものがないといったほうが良いくらいです。
 ただ・・・これらの店は全部『江戸前風』です。『サンマ寿司』とか『目張り寿司』とは系列が違います。
 カメラは ニコマートEL+シグマ21~35ズーム
この範囲です

by je2luz | 2008-01-09 11:58 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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