一昨日のタイトルの逆です。
昔は辺地ゆえに地元売り用の魚を捕る漁業が主だったはずの、熊野の漁業も結構大規模化して、市場を外に求めるようになっています。
古代には、漁師の船は浜に上げるものだったはずです。
木造船を浜から押し出し、帰ってくればロクロで浜に巻き上るのが日課でした。
そんな古い時代には、砂利浜や砂浜のあるところが漁村としては良い所だったわけです。
私が学生だった昭和30年代終わりごろまでは、ここ熊野の七里御浜にも一杯船が並べられていて、地引網漁などに使っていたものです。
我が家のすぐ前の浜にも長く木造船が揚げられていました。今から、20年余り前に姿を消したように思います。
房総九十九里浜では、ここより一回り大きな船が砂浜に上げられていて、『おっぺし』と言われる、漁師の女房たちが上半身裸で船を押し出していたものです。
そういう光景は日本中から消えて行き、今では防波堤と荷揚げ場のある『漁港』がないと漁師町にはならないようです。
漁の方法も随分と進歩しています。
網がクレモナとかの耐久性のあるものに変わりました。そのために、編み直しと言う作業も大幅に減っています。
何より変わったのは、『魚群探知機』の登場でしょうね。
この『魚探』の登場で、闇雲に走り回っていた漁船が、網を下ろす場所をかなり絞り込めるように成りました。
戦後の食糧難で乱獲した近海の魚は漁獲高が激減していたのですが、一時的に持ち直しましたね。
しかし、今度は本当に『根絶やし』に近いことが起き始めます。
昔から、捕れる時には船一杯捕る・・・と言うやり方で来た漁師も資源を少し考える方向に向きつつあるようです。
魚探があり、魚がいても、魚が近づかなければ捕れません。
海は広いです。
『冷水塊』『温水塊』『黒潮蛇行』『海水温上昇』・・・漁場はどんどん場所を変えます。
今年はこの沖のサンマの漁場が少し遠いようです。そこにやってきた、燃料高騰・・・
コストから価格を決めるなんて出来ない田舎の産物の一つ、水産物ですから、捕れても採算割れに成りそうだそうです。
捕れすぎ?捕りすぎ?で、あちこちに『サンマのすだれ』が出来るのも考え物ですが、あまり少ないのも・・・
そのためか、今年は魚屋さん以外で軒先に『サンマのすだれ』が掛かっているのを見かけません。豊漁だと、こんなパラパラではなく、『どうやって食べる気だろう?』と、人事ながら心配になる風景が広がるのですがね。
カメラは
コダック・レチナIIIc
ドイツ)
この範囲です