LUZの熊野古道案内

je2luz.exblog.jp
ブログトップ
2007年 12月 19日

熊野の旅 木本町西川町

 熊野市木本町は発祥の地『親地町』、海岸沿いに伸びる『本町通り』、昭和になってから都市計画で作られた『記念通り』、その間に縦横に走る横道やセコによってほとんどが形成されています。
 そのほかには山手から流れ出る小さな川の所に『切立』と『新田』と言うところもあります。
 もう一箇所、旧国道42号線に面した木本町の外れの方に『西川町』と呼ばれる一角があります。正確に言うと、旧・旧国道と旧国道もここを抜けて、ここで分岐していた所です。
 山間部、飛鳥方面や山越えでの尾鷲方面への道と、『松本峠』を越えて海岸沿いの泊・波田須へ向かう道か通る木本の出入り口に当たります。
 ずっと取り上げてきている『奥川邸』・・・「紀南ツアーデザインセンター」も、この一角にあります。
 近年、都市計画で道が広げられ、二車線に両側歩道つきの明るい通りになっていますが、元は昔々の道らしく、一車線の狭いものでした。
 国道時代にはここをバスやトラックも走っていました。軒が張り出しているし、道は狭いし、道路の脇は屋敷ごとにのこぎりの歯のようにでこぼこしているし、運転手にとっては魔の区間でした。対向する為に一杯よれば背の高いバスやトラックは屋根を削るし、背の低い車はのこぎりの歯の部分の溝に車輪を落とすし・・・
 昭和45年までそんな道が国道でした。おまけに、この道路は県立木本高等学校の通学路で1000人あまりの生徒が登下校していました。それに加え、熊野市立木本保育所の通園路・・・まさに、魔の道路でしたが、狭すぎるので、溝に落ちたとかで傷をする人はありましたが、大きな事故は無かったものです。
 今の道路が出来たのは平成に入ってからですが、片側の住宅に協力を頂いて拡幅しました。
 当初は両側に協力いただくなんて話でしたが、片側で済ますことによって、交渉も半分で済みました。ただ、市街地ゆえに前を切られても後ろに下がれない家もあり、難航はしましたね。
 この、西川町の一角は、『親地町』と並んで、古くから開けた一角なので、木本の旧家がお屋敷を構えていた所です。『奥川』『前川』『中西』・・・名門が固まっていました。
 片側の立ち退きで済ませたので、数少ない木本の古い建物が温存されることに成りました。
d0045383_10265332.jpg

 この家もその中の一軒です。
 熊野市駅から『松本峠』に向かって歩いてゆくと、メインストリートの『記念通り』を抜けて、道が『西郷川』に向かって下り坂になったあたりです。
 100mほどの間に、明らかに『だんなし』の家と言う構えの古い家が数軒並んでいます。
 向かいっ側にも格子のはまった家などもあったのですが、今はそれらは見られません。
 この一角の旧家は本町筋の家より一回り古い家柄のようです。
 カメラは センチュリー・グラフィック+バウシュ&ロム88mm
この範囲です

by je2luz | 2007-12-19 10:43 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://je2luz.exblog.jp/tb/6767286
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]


<< 熊野の旅 山と海      熊野の旅 町並み >>