木本の町並みが出来上がったのは結構古いようです。
江戸時代の古地図にも今の本町筋の所に道が描かれています。しかし、道幅まで同じであったのかどうかは確かめておりません。
日本の古い町並み同様、普通の家の間口は狭く、大店の間口が広いのも共通です。
ほとんどの古い家が平屋建てと言うのも多くの町に見られる形です。
例え二階があっても、立ちを低くして目立たなくしてあるのも古い建物には多いですね。
ここ木本を治めた『紀州藩奥熊野代官所』に『間口税』があったのかどうかは分かりませんが、間口三軒ほどが標準です。一番古い『親地町』になると二間とか二間半のものも多くあります。
藩によっては、軒の高さにも税金を掛けたと言う話もあります。極端に軒先の低い家が残っている所もありますが、木本は奈良のほうで見られるような、『手を伸ばせば軒に届く』というほど低いものはほとんど無いですが、それに近いものは残っています。
本町筋は表通りです。小さいとは言え表通りに家を構えるくらいですから、中産階級だったの家だったのでしょうね。
ちょいとした家には、『付け庇・化粧庇』が付いています。
腕木を出し、化粧垂木をのせ、庇を二段にして格好良くしてあるわけです。
屋根裏の小屋組みでは、化粧垂木の端を母屋下で押さえ込んで軒端(のきばな)が下がらないようにしてあるのです。柱に取り付けた腕木は、ものすごい目方が掛かるので『一分の狂い』どころか『髪の毛一本』の隙間も許されない細工です。
田舎の百姓家の納屋などでは、この部分に大きく曲がった木の根元部分を取り付けて荷重に耐えさせようとしたものも見かけられます。
この、『大工の腕の見せ所』部分に、大正時代頃でしょうか、ごまかし金具が流行ったようです。
こんな「棚受け金具」みたいなものが、あちこちの家で見かけられます。
デザインは少しずつ違っているのですが、さほど丈夫な物では無さそうです。しかし、これをつければ腕木の下がりはかなりの部分で防げるでしょうね。
しかしながら、『はやり』で無いと『みっともない』細工になりますね。痛んできて補修したわけでは無いですからね。
この金具は新しい建物では見かけなくなります。
『流行』と言うものは不思議な物です。
『木本大工』の腕が悪かったわけでもなし、『熊野・紀州材』が悪かったわけではないのですからね。
まさに、『流行』だったのでしょう。
この範囲です