LUZの熊野古道案内

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2007年 11月 30日

熊野の旅 戸棚

 古い家、終戦までに建てられた田舎家の台所には、『戸棚』が作りつけられていることが多いです。
 今風の家もカップボードだとか食器棚のユニットを作りつけのように組み込んだりしていますが、昔の作りつけはものすごくごつくて、まさに家の一部でした。
 据え置きの食器棚などが普及してきたのはどうやら近代になってからのようです。
 この田舎家の『戸棚』と言うものの多くは、押入れの親戚のようなものが多いです。
 下の写真のように、ごつい板戸がはまり、奥行きも建物のモジュールどおりの半間と言うものがほとんどです。
d0045383_10432696.jpg

 こういう『戸棚』は日常的にはものすごく使い勝手の悪いものです。
 板戸が重くて開け閉めが大変なのはもちろんですが、なにしろ奥行きが深いので奥のほうに入ったものは取り出せないのです。

 昔の生活は『ちゃぶ台』を囲んで、「一家団欒」などと言うものでは有りませんでした。大きな家には必ず女中さんや下男の人が居ましたし、家族でも一家の主、『家長』から始まって『末っ子』、『めかけの子』までの序列がきちんと決まっていました。
 第一、食事の時にペチャペチャしゃべるなんて『お行儀が悪い』とされていたものです。
 その時代には『お膳』なる各自の小さなテーブルで食事を頂く家が多かったのです。
 そのお膳を納めるには、まあ、使えたでしょうね。
 普段の食器が増えたのは戦後生活が豊かになってからの話です。
 こうした民家が建てられた頃の平均的日本の家の食事は『一汁一菜』とまでは行かなくても、それに近いものですから、茶碗・汁椀・取り皿・小皿があれば済んだのです。だから、普段の食器をしまうスペースなんてほとんど要らなかったのです。
 そのかわりに、来客に食事を出したり、何か行事があるときには、全部その家で仕込みをしていました。だから、一寸した家だと50膳とか位の客用のお膳、食器は持っていました。下々で庭先とかで食べさせる人の分を入れると、食器の数は100人前とか持っていて当たり前だったのです。
 そうなると、こんな大きな戸棚があっても全く足りません。
 田舎家の納屋だとか蔵だとかの中にはこんなものがぎっしり入っていたものです。立派な蔵があっても『お宝』なんてほとんどは行って居ないことが多いです。
 食生活の変化、家庭構成の変化、家庭生活そのものの変化、そうしたものにはこうして台所にある大きな『戸棚』は対応できなくなってしまいました。
 『開かずの戸棚』と化してしまい、中に何があるやら家の人にも不明・・・なんて存在になったものも多いはずです。かつては。夜這いに行った若い衆が隠れたなんて話があるほど活躍したものなのですがねぇ・・・
 戦後の『新生活運動』の台所改造では、こうした『戸棚』も無用な物邪魔な物としてターゲットになり、取り払われてほとんど消えてしまいました。こうして現存する方が少ないですね。
 カメラは センチュリー・グラフィック+スーパートプコール65mm
この範囲です

by je2luz | 2007-11-30 11:11 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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