LUZの熊野古道案内

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2007年 11月 17日

熊野の旅 遠くなる戦争の記憶 入鹿

 IRUKA-BOYS・・・いるか・ボーイズ
 新聞にも小さく取り上げられたことのある団体名です。

 第二次世界大戦時に日本本土に連行され、強制労働に従事させられた「英国軍捕虜」の人たちが作ったものです。
 収容中に亡くなられた方、終戦によって無事に英国に変えることが出来た人・・・
 戦時下の総動員体制で、朝鮮半島からの強制連行を含む労働者でごった返していた、南牟婁郡入鹿村(現・熊野市紀和町)の銅山で働かされました。
 何所の収容所でもそうですが、日本人が食いかねているときです、国際条約がどうあろうと、まともな扱いを受けられるわけはありません。随分と腹もすかし、つらい思いをしたことだと思います。
 英国に帰還した人たちが、戦後に「入鹿」の地を忘れないように作ったのが「入鹿ボーイズ」だったのです。
 随分年月が流れ、老齢期に入った頃、彼らの代表が入鹿の地を訪れるようになりました。
 苦しみや恨みの記憶ををある程度いやせる年月が必要だったようです。
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 先日文化の日の夕刻、ここ木本町本町にせわしない、それでいてどこか物悲しいような『バグパイプ』の音が響き渡りました。
 スコットランドの衣装を身にまとった一団です。
 その一団は、最早、『イルカボーイズ』の人たちではなく、そのお孫さんや曾孫さんの世代の人たちです。
 戦後62年・・・青年兵であった方でも80代後半に入っています。ご存命の方は一体どれだけ居られるのでしょうね。
 こうした形での当地への訪問もこれが最後ではないかといわれています。
 この行進の先導は、『県立木本高等学校』のバトンガールとブラスバンドでした。
 この子達に、この若い『バグパイプ演奏者』の影に何があったのか先生方は伝えてくれたのでしょうかね。
 もともと、紀和町との交流しかなかったので、木本町本町を行進するのは初めてでした。合併して、今では同じしないということと、石畳寛政と言うことで来て貰ったようです。

 見物にでていた数少ない人達のほとんどは、70代、80代のお年寄りでしたが、戦争を体験したその人達の頭からでさえ、『戦争捕虜』『強制労働』のことはほとんど消え去り、『外国から来た変な楽団』と、写っていたようです。
 こうして、恨みが消えることは良いとしても、忘れてはならないことまで消えてゆくのは悲しいことなのではないかと思います。
 『美しい国』などと言う『まやかし』、『幻想』が浮かび上がるのも、こうした大切な物が忘れ去られてゆくからだとも思えます。
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by je2luz | 2007-11-17 11:33 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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