LUZの熊野古道案内

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2007年 11月 15日

熊野の旅 昭和は遠くなりにけり 4

 今日の変化は昭和の中頃に起きた変化です。
 先日も触れたように、戦後すぐに起きた日本近代化運動のひとつに、『新生活運動』と言うものがありました。
 非常に広範囲のものにこの名称がかぶされていたようです。
 生活の隅々まであれこれとターゲットにして、古い習慣や生活様式を改めようというものでした。
 『病気見舞い』『お香典』『入学祝』などのご近所、親戚付き合いもターゲットになりました。
 『お香典』など、『他人様は100円』『集落内300円』『親戚500円〕などと言う取り決めをしたりしていましたね。
 たしかに、合理的に見えるのですが、中々守られず、いさかいの元を一杯作ったり、数年でなし崩しに無効になったり、再議決したり・・・
 主婦の家事労働からの解放と婦人の人権擁護のためにもこの運動が活用されました。
 婦人議員一号の市川房江女史などが大活躍した頃なのです。
 当時、元気のあった『婦人会』をフル動員していろんなことをやっていましたね。
 どう言う訳か、そのいでたちは、『愛国婦人会』と同じような『白い割烹着』姿でしたね。
 ご婦人を動員しての、食生活改善の料理教室などは、それこそ津々浦々まで行われました。
 それまでは、都会のほんの一部でしか口にしなかった『コロッケ』なんかが田舎の家庭まで入り込んだのはこの時期です。
 テレビの無い時代では、婦人会の講習会や雑誌が大活躍でした。
 『主婦の友』『主婦と生活』『婦人公論』『家の光』・・・最後の一つは農協経由で田舎を席巻したものです。これらの雑誌がものすごく元気だったのです。
 ハードの面では、まず取り上げられたのは、『台所の改善』でした。
 付きっ切りで火を焚く『かまど』から『石油コンロ』『ガスコンロ』『電気釜』への移行から始まり。『甕』(かめ)へ溜めた水を使う炊事様式が不衛生だということで止めるように指導、それとともに流し台の改造も行われました。
 それまでにあった、『木製の流し』はどんどん姿を消しました。流しの横の『甕』は蓋をされるか取り外されました。そして、「タイル張り」や「石の磨き出し」の流し台に変わりました。
 この流れの最後の頃に、既製品の『流し台』が開発され一気に改造が進みましたね。
 現場施工の部分が少ないので、その後での交換も楽ですしね。
 この時期に、日本の台所は様変わりして行きましたね。ちょうど、お母さん方の着る物が和服から洋服に変わった時期ですね。夏服のワンピースに『アッツパッツパ』なんて不思議な名前がつけられた時代です。
 ここ、奥川邸でも、昔の流し様式は残っていません。せめて、セメントかタイルの流しが残っていれば。『らしく』て良いのですが・・・
 近年まで、実際に生活をなされていた建物ですから、現状ほども残されていれば奇跡ともいえるのですが、勝手な物で見る側は『古いのが残っていれば・・・』などと思うものです。
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 一連の写真は、熊野古道歩きの休憩所を兼ねた施設のものです。
 『紀南ツアーデザインセンター』の事務所でもあり、ここに立ち寄ると木本の古い民家の中が見学できますし、やさしい女の人によって『おくどさん』で沸かしたお茶の接待も受けられます。
 カメラは センチュリー・グラフィック+スーパートプコール65mm
この範囲です

by je2luz | 2007-11-15 10:27 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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