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LUZの熊野古道案内

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2007年 11月 07日

熊野の旅 月例 今月も・・・市報から

 毎月のことですが、熊野市報には今月も寒い数字が並びました。
  お誕生    8
  お悔やみ  24
 今月は一人だけ悲しいことに子供が含まれて居ます。他は一番若くて62歳、90歳以上が5人も居ます。まあ、順当な数字が並んでいます。
 出生はずっと一桁が続きます。
 今から30年前、過疎が極度に進んだといわれた頃でも、木本町はこれより少し少ないくらいでしたが、井戸小学校校区単独でこれ以上生まれていました。まさに、激減です。
  
  人口    21.197   (-28)
    男     9.891   ( +1)
    女    11.306   (-29)
 これも、いつもながらの数字です。一見、人口減が割りと少ないのですが、平均寿命の延びが衰えたとは言え、昔に比べ長生きする人が多いので中々減らないように見えているだけす。老齢化指数はどんどん高くなっています。あと二ヶ月ほどで私もその統計上の年寄りに入って1/21000くらい指数を押し上げます。

 同じ市報では、体操の笠松茂さんが熊野市初の『市民栄誉賞』を受賞したことが取り上げられています。
 笠松さんはミュンヘンオリンピックでの金メダル受賞者です。
 県立木本高校の出身ですが、ここの体操部はこの人の兄さんたちが作ったものです。
 私たちが高校のとき、木本町の有本散髪屋のご兄弟とかの方が陸上のオリンピック選手だったとかで、時の日本体操界を代表する池田さんたちが高校にこられて模範演技を披露されました。
 その時にはまだ木本高校体操部は無く、体育館も小さなものしかなかったので、グランドでの青空演技でした。
 この演技に感動した私の同級生の、笠松、山本、桧作たちが体操部を立ち上げたのです。
 立ち上げても、新参クラブが体育館を使えるはずも無く、校舎と校舎の間の中庭などで練習に励んでいました。途中でボロ体育館に吊り輪をぶら下げてもらって吊り輪は体育館でやっていましたね。
 そんな格好でスタートした体操部ですが、それから4・5年の後には兄に触発された笠松茂さんがオリンピック選手になるまでになったのです。
 しかし・・・何せ田舎の県立高校ですから取り立てて有名なコーチが居るわけでもなく、体操の名門校になることはありませんでした。
 笠松の弟さんの頃には、たしか今の大きな体育館が出来ていたのではないかと思います。
 才能と努力があれば、無名校からでもオリンピック選手は出るものです。
 この、クラブを設立した諸君はほとんど教員になられ、もう定年退職されました。創設者であることは世間では忘れ去られているでしょうね。
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 カメラは オリンパス35Sb
この範囲です

by je2luz | 2007-11-07 09:49 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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