LUZの熊野古道案内

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2007年 11月 05日

熊野の旅 産田神社棟札

 昨日の続きになりますが、日本最古の神社『花の窟神社』の続きのような存在の『産田神社』の棟札なら、さぞかし古い物が残されているだろうと想像しました。
 ところが、残されているのは、木本神社よりは古いですが、永正18年(1521)からだそうです。
 まあ、年代はそんなに古くは無いのですが、この棟札には日付の永正18年霜月14日の他に
 
 『奉棟上産田二所大明神 紀州無漏郡有馬荘司榎本朝臣和泉守忠親』
   『荘内安全人民快楽      同15日御遷宮 神主 藤原森純』
 などと記載されています。

 花の窟神社は社殿も何も無いものですから、大層な棟札が無くて当たり前でしょう。
 この『産田神社』の棟札はその辺の鎮守様といささか趣の違う感じですね。
 勧進主も庄屋さんとかではないようです。
 しかし、祈願分のほうは、非常に近代的で『人民快楽』などとなっています。
 もっとも、これとて、上から見た『荘内平穏』だったのかも知れませんがね。
 どうも、普請の費用は棟札の表書きのようにたいそれた感じではなく、有馬の地主から調達したような裏書になっているようです。
 地名の方は色んな表記のものがあるようですが、読み方の『むろ・むろう』はずっと変わらないようです。今の漢字変換ですと『みなみむろぐん』になっていますが私が子供の頃にも『みなみむろうぐん』と発音する人が多く居ました。漢字は『南牟婁郡』となっています。この『牟婁』は『室』などと同じで「暖かい場所」だそうです。麹を作ったりする部屋を「むろ」と呼ぶこともあるようですね。この辺では蒸し暑い部屋などを『室のように暑い』と表現していました。

 まあ、棟札は残っているものが資料になるのであって、『信貴山縁起』とかのように、その神社の歴史を記載したものではないですから、永正年間のものが残っているだけでも貴重でしょうね。
 それ以降の昭和年間まで100枚が残され、その中には今は社殿のない『花の窟神社』の物も含まれているようです。
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by je2luz | 2007-11-05 11:16 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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