LUZの熊野古道案内

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2007年 10月 28日

熊野の旅 EX 元商店街 本町通り

 三回にわたって、木本町本町通りの盛衰について書いてきました。
 廃業して、そのままの形で残っている店の建物を一部載せましたが、これらは一部です。本当は、『元魚屋』とか言うレベルではなく、全体が『元商店芸』なのです。
 今はまだマッチや風な建物が建っているところのほうが多いので、住宅街に見えています。しかし、このところその古い町屋がどんどん取り壊されています。
 都会なら、取り壊されて再開発と言う形で、味気なかろうと景観を壊そうと新しい建物が建ち、商店がなくなっても生活の場は出来てきます。しかし、ここまで過疎の進んだ田舎では更地になったところに家が建つ事はありません。ずっと更地のままです。
 それと言うのも、こうした古い町並みと言うものは、京都だけではなく日本中何処でも、間口が狭く奥行きの深い、『うなぎの寝床』のような屋敷ばかりなのです。
 木本町でも間口は大体三間です。と言うことは・・・
 隣との間に半間の通路を両脇に取ったとしたら、有効間口は二間と言うことです。廊下も無しで8畳の部屋があるだけの建物しか建たないのです。
 従って、両脇は敷地一杯使う建て方をするので、その両脇には窓はありません。表側の通りに面した所と、裏側の庭に面した所だけが開口部と言う建物になります。
 片側に土間・たたきの通路があってその脇に部屋が三つ並んでいるのが、こうした町屋の標準的間取りです。お店をやっているところでは、一番前と二番目くらいが店舗と言うことです。
 風を通すためには、すべての部屋を開け放す必要がありますから、間仕切りはふすま・障子です。プライバシーなんて存在しません。
 これでは、今風の家は絶対に建ちません。だから、建て替えも無いのです。
 数少ない地元に残った後取りも、本町ではなく新興住宅地(であった)所に家を建てて住んでいます。
 これは、日本の古い町が抱える共通の現象でしょう。
 間口が広いと『間口税』がかかった藩もあるそうですが、日本の古くから伝わる都市計画の名残がこれを生んだのでしょうね。
 いや、戦後分譲された、都市近郊の文化住宅街も、建て替え不能と言う現象が出ていますね。
 昭和30年代から40年代には20~30坪の土地の分譲が主流でしたからね。
 千年も前から近代まで・・・日本の都市計画の基本はこんなものだったのです。だから、津々浦々まで土地神話が広がって、いまだに夢が覚めないのでしょうね。
 この、元商店街・本町通りに残っているお店屋さんは・・・魚屋1・ガス屋1・履物屋1・風呂屋1・肉屋1・民宿1・酒屋1.5・雑貨屋1・散髪屋1.5・茶碗屋1.5・化粧品屋1・鉄砲屋1・呉服屋2・特定郵便局屋1・葬儀屋1・内科医院1・氷屋1・布団屋1・文房具屋0.5くらいでしょうか。
 この端数の0.5は半分休業状態のものです。 こうして書くと一杯あるようですが、600mほどの長さの両脇にばら撒くと・・・それに、50代以下の跡取りの居るのは6軒くらいでしょうかね。
 熊野古道歩きの人が、真新しい石畳の道を歩いた時、ここが商店街だとは思わないでしょうね。
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 一枚目・衣料品店・肉屋・饅頭屋が並んでいました。
 二枚目・老舗旅館の跡です。今では熊野古道歩きの人用に立て札が立っています。
 カメラは ツァイス・コンタフレックスIV+プロテッサー35mm
この範囲です

 

by je2luz | 2007-10-28 11:45 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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