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LUZの熊野古道案内

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2007年 10月 27日

熊野の旅 EX.・・・元 (3)

 この地方の中心であった木本は結構古くから町の形を作り出していたようです。
 江戸時代の古地図でも、今の本町通りはほぼ今の形で描かれています。
 代官所も置かれていました。跡地は明治になり小学校用地になっていました。その後、木本小学校の改築に当たり、金が無いので旧校舎部分を売り払ったので、今は天理教南紀大教会などが建っています。広すぎたのではなく、あくまでも金が無かっただけです。
 いわゆる、『浜街道』の東の端として形作られた本町通りは、せいぜい人馬を想定したものです。その両脇にはお店や公共的な建物が増えてかなりの賑わいを見せたようです。
 しかし、車時代に入りだすと手狭な物になりました。
 そこで、昭和初期の先人たちは、二車線に歩道付きの都市計画道路を山手に作りました。それが『記念通り』です。完成の時が『皇紀2600年』だったので、『記念通り』と命名されたようです。
 最初は田圃の真ん中に作られただだっ広い道だったのですが、やはり、新しい店はそちらに建つようになるし、手狭な場所にあった公共的な建物も他へ移転するようになり、本町は一気に主席の座から滑り落ちました。その時期は、昭和30年代から40年代でしょうね。
 他へ移っていった、公共的な建物は・・・
 警察署、電電公社、百五銀行、紀南信用組合、木本町役場などです。脇道に入ってすぐにあった職業安定所も移転して行きましたね。
 わずか600mかそろいらの商店街にこれだけのものがあったのですから、その当時の賑わいも創造できるのではないでしょうか?
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 このあたりが一番賑やかだった『三丁目』です。
 写真一番上には本屋さんの他にも並んでいたのですが、難だったのか記憶にありません。
 二番目は私が中学・高校時代にお世話になった写真屋さんとか漢方薬がお得意な薬局などでした。
 三枚目の空き地群の所に警察署や電気屋などがあったのですが、更地になったままです。ここの電気屋には知る人ぞ知る『東通工』の看板がありました。知らない???『SONY』の前身です。
 本町通りにはアイスキャンデー屋さんが『小松屋』『岩本』『今源』『和田松』と4軒もあったのですよ。もちろん、製氷機の座った、自家製アイスキャンデーを作って売っていたのです。小学生だけで150人も居た時代の話ですが・・・
 カメラは ツァイス・コンタフレックスIV+プロテッサー35mm
この範囲です

by je2luz | 2007-10-27 12:18 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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