LUZの熊野古道案内

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2007年 08月 20日

熊野の旅 熊野原木市場

 熊野市は面積の8割以上が山林、それも人工林の町です。町と言うより村ですね。
 この林業の盛んな所も、昔は意外と製材所も少なく丸太を売買する市場もありませんでした。
 これは、丸太と言う重いものを運ぶと言うことが非常に難しかったからです。
 熊野川流域の森林資源は川を使って筏で河口の新宮、鵜殿に運ばれました。
 海の見える山にはあまり良い山がありません。海からの風が吹くので木が曲がり材質が落ちるからです。
 一山越えて霧もよく発生して、良い木の育つあたりのものは熊野川流域になるので熊野市(木本)には出て来ずに遠い新宮に流れたのです。
 時代が変わって道路を使ったトラック輸送に変わっても長い間、原木丸太の流通は新宮と尾鷲の原木市場に任せた形でした。
 今から20年余り前、熊野市飛鳥町にも原木市場が出来ました。
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 新宮や尾鷲は古くからのもので民営でしたが、熊野原木市場は補助金行政によって『協同組合』として設立されました。
 この時代は材木価格の下落に差し掛かる時期になります。経営に慣れる間もなく低迷期に入り元落ちの山を築き、次は低価格に嫌気がさした山主の伐採量の減少で今度は玉不足に見舞われました。
 低価格が長くなると、生活のために山林の伐採が始まりますが、今度は同じだけの収入を得るために伐採する量が大幅に増えます。
 一気に大量の材木が市場を埋め尽くして又々元落ちになる・・・悪循環の中、今のように林業壊滅期に入ってしまいました。
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 今では山林を伐採するとなると、一山丸裸にします。かつての10倍ほどの面積を伐採しないと同じだけの金が入ってきません。
 それはその時の収入だけの計算です。十倍もの面積を切ったのでは、跡を植林して木を育てることは出来ません。植林から育林まですれば赤字になります。美林を切って最終的に赤字になる・・・それが今の田舎の破壊になっているのです。
 南方を含む盗伐材までを無制限に輸入する政策によって一部商社が潤って、国土を殺したのです。
 それなのに・・・
 昨日、インドネシアを訪問したわが国のトップ(のつもりの人)は『インドネシアの森林資源の育成に協力する』などとしゃあしゃあと言っています。
 ボルネオ島を、スマトラ島を裸にしたのは日本の商社です。
 さらに、その密林には、いまだに国に帰れない英霊の遺骨が眠っています。
 この英霊もほとんどが田舎出身の兵卒です。
 機能の訪問を知ったら、呪い殺したいと思った現地の霊も合ったのではないでしょうか?

 上の写真は桧、下が杉です。

熊野三山と熊野の地図へ   ←←←←をクリックすると案内図が開きます。

by je2luz | 2007-08-20 11:34 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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