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LUZの熊野古道案内

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2007年 08月 05日

熊野の旅 熊野市立飛鳥中学校

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 中学校と言うものは小学校に比べると新しいものが多いです。それというのも、学制が変更されて『中学』に全員進学するようになったのは戦後のことだからです。
 『小学』は形を変えても初等教育としての地位は変わらなかったのに対し、旧制中学は高等教育に当たる感じなので、戦後の学制改革で『高校』になっていった物がほとんどです。新制中学は高等小学校とかの建物を一部利用したりして、新たに建てられた物が多いようです。
 飛鳥中学校は小阪小学校をぴったりくっついてあります。
 国道42号線が体育館とグランドのすぐ脇を通っています。
 ここは私の母校です。
 私が居た頃は木造校舎が二棟並んでいました。
 高等小学校が使っていたらしい古い校舎と戦後に建てられた新しい校舎が段差のある敷地に急傾斜の渡りローカで結ばれていました。
 当時の生徒数は一学年80人ほどだったと思います。A・B二クラスありました。今は一学年10人ほどではないかと思います。
 生徒数が減少してくると中学では『クラブ』の存続が出来なくなります。
 私はバスケット部に所属して三年間バスケットに明け暮れしました。
 男子はバスケットか軟式テニス、女子はソフトかバレーでした。二クラスくらいの学校だとこれだけのクラブで精一杯と言った感じでした。
 野球部が無かったのでバスケットに居ましたが野球部があれば間違いなく野球部にいたでしょうね。 当時の野球人気はものすごかったですから・・・
 私が入学した時のバスケットのゴールは、今では個人の庭にしかないような一本の柱の上に、バックボードとリングを取り付けたものでした。これは想像以上に怖いものです。まさに、『激突』と言ったらよいようなぶつかり方をするのです。今なら、すぐに訴訟の対称になるでしょうね。
 折りしも、戦後の復興が進んできた時代なので、今式の突き出したもので、移動できるものに変えてもらえました。
 重石はしてあったのですが、何せ悪がきの多い時代なので、登るなと言っても登り、何度もひっくり返しました。昔の子は飛ぶとか落ちることに慣れていたので怪我をしたやつも居ませんでしたね。捻挫くらいはあったでしょうが、軽い捻挫は怪我のうちに入りませんでしたから・・・
 もちろん、この写真にあるものは私の時代からのものではありません。
 物の無かった時代でも、ゴールのネットはきちんと直してあった物ですが、今では物があるのに切れたままのが見かけられます。
 ボールは蹴っ飛ばすし・・・ボールに腰をかけるし・・・
 昔の根性至上主義の練習が良いとは思いませんが、マナーとか道後を大事にすると言うことは教えて欲しいものですね。それも無しの運動部って何なんでしょうね。だから、同じクラブ員同士で人間をも大事に出来なくなるのかもしれませんね。

 カメラは フジカST605N+クルタゴン35mm
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by je2luz | 2007-08-05 10:31 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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