LUZの熊野古道案内

je2luz.exblog.jp
ブログトップ
2007年 07月 26日

熊野の旅 清流 大又川・源流

 紀伊半島の南には清流が多いです。
 当たり前でしょう。民家もほとんど無く、まして工場なんてあるわけの無い、険しい山間を流れる川は『清流』で当たり前です。
 そうした清流の一つに『大又川』があります。
 この川は国道42号線で熊野に入るとすぐに道のそばを沿うように流れ下ります。国道169号線で入ると、やはりすぐにそばに流れ、上流に向かいます。つまり、熊野市の幹線道路はこの川のそばを通って外部につながるのです。
 川の名前の通り、一番上流は『大又』になります。
 昨日の写真の一番奥の山、矢の川峠のところから流れ出す谷川と、もう一本、今日の写真に写っている道が入ってゆく、奈良県との県境から流れ出る『備後』と言われる谷川が合流して年中水の切れることの無い清流が生まれます。
d0045383_931916.jpg

 この立派な橋の架かる林道は、国有林『大又官林』の出材を目的に作られたものです。
 『大又官林』は広大な国有林で、日本地図にも『大又官林』と記載されるほどのものでした。そして、昭和40年代までは、膨大な杉、桧、雑木の森林資源を供給してきました。
 戦後の復興期から親方日の丸全盛時代にかけて、ものすごい量の伐採が行われました。管理は大阪で行われ、営林署は新宮にありました。その新宮営林署の職員数はピークで200名を超えていたはずです。もちろん、この職員とは事務方と技官と呼ばれる方々で、現地雇用の現場の人夫は含まれません。
 知らない間に増殖した『木喰い虫』によって、売り上げは食い散らかされ、国庫にお金など入らないままに『大又官林』はやせ衰え、荒廃してゆきました。
 伐採の後には植林がなされ、育林もされたことになっています。そして、林野庁などの言う国内の材木資源の埋蔵量には、この木喰い虫が『育てたはず』の見込み材積が含まれます。
 近年は民有林も材木不況のため管理が出来ず高配し始めましたが、国有林は戦後一貫して荒廃し続けています。
 だから、事実は、ほとんど木は育っていません。
 社会主義国家ではないですが『計画的育林』で、寒冷地の木曽などと同じ基準での『山刈り』などですから、ほぼ年中、草や雑木が伸びる大又官林では管理不十分になります。
 まあ、自然林に帰ってゆけばよいのかもしれませんが、こうして、日本有数の美林が営林署によって食いつぶされたのです。
 もちろん、誰も責任は取りませんし、今では優雅な『恩給』と呼ばれた年金生活をされています。残念ながら、営林署に就職できた地元の人はほとんどいませんね。えらいさんはやっぱり学歴ですから・・・
 そんな大又官林もこの清流を支える大きな要因です。
 今では国有林から材木が出されることも無く、このあたりにあった貯木場には桜が植えられたり、払い下げられたりして、かつての面影はありません。
 カメラは フジカST605N+クルタゴン35mm
熊野三山と熊野の地図へ   ←←←←をクリックすると案内図が開きます。
 

by je2luz | 2007-07-26 09:58 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://je2luz.exblog.jp/tb/5863034
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]


<< 熊野の旅 熊野のチベット? 大又 1      熊野の旅 通行不能・・・旧矢の川道 >>