LUZの熊野古道案内

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2007年 07月 16日

熊野の旅 高潮対策・地元とお役所

 今回の台風は、四国沖に来た段階で形が完全に崩れ、台風の形ではなくなりました。
 これで、もう半月後出来たのなら各地もこんな被害は出なかったでしょう。たまたま梅雨のさなかで、それも空梅雨だったのに梅雨前線がやっとまともに日本列島の上に出来上がったところに来たのでこんな広範囲に豪雨をもたらしました。
 最近のテレビがやたら大きいように報道するのは少し困った傾向なのですが、台風としてはさほど大きなものではなかったですね。
 この目の前を通過しても、高波もたいしたことなく済みました。台風本体の雨もたいしたことありませんでした。ここを通過するときには台風本体にはすでに雲がほとんどお供していませんでしたからね。
 台風が通過し終わると海も段々静かになるのですが、今回は特に早く納まりました。
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 この鬼ヶ城東口、木本漁港の防波堤も通過した数時間後には波が砕け散ることもなくなっていました。
 山間部や井戸町などは雨による川の氾濫と山崩れが怖いのですが、木本町、それも、海に面した本町通り海側並びの家は、高波が怖いのです。
 延長にすれば500mほどの間ですが、家の並びの外には国道42号線があり、その外側は堤防です。更にその外には砂利浜があり。熊野灘です。
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 この堤防は写真のように二重になっています。
 二重に作ったのではありません。
 二重に残してあるのです。
 この堤防のうち右の後ろ側は伊勢湾台風の後で作ったものです。そして、左のほぼ同じ高さで前に出たものが、今から20年ほど前に作られた新堤防です。
 この古い堤防は、伊勢湾台風以降の台風で何度か波が越えています。被害も出ています。
 それなのに、その記録は三重県の土木には無いのだそうです。
 それに、この外海の熊野周辺の『波高』の記録も無いのだそうです。波高の記録は松阪港のものを参考にするのだそうです。
 外海と伊勢湾内のそれもさらに湾になった影の波高を同一視するほどいい加減なのが、県であり国なのです。
 だから、新堤防を作る時11m前に出して、同じ高さで作りに掛かったのです。何度も越えている堤防を前に出して同じ高さなら・・・
 波が越えることは誰でもわかることです。
 さらに、建設前に説明もなく入札まで済んでいました。
 そこで、海岸沿いの家木本町と一部井戸町の全戸の有印の陳情書を作りました。
 『新堤防は危険であり、住民の生命財産を危険にさらすものである。このままそれをもって旧堤防を取り払えばその後の災害の責任は行政にある。』と言う趣旨でした。
 この堤防の持ち主は『運輸省』でした。ここが港湾地区だからです。そして、旧堤防を取り壊した土地は『建設省』に譲り渡して国道の拡幅に当てる約束がなされていました。
 それがストップすることは省庁の面子にかかわることでしたが、時の市長も危険を自覚して表明しましたし、建設中に台湾坊主の高波が新堤防を越えるという事実も発生しました。
 そこでとられた策が、旧堤防も新たな対策が出来るまで取り壊さないと言うことです。
 それ以降の動きは次に書きますが、住民パワーと住民の経験が力を発揮した数少ない例です。
 百数十戸のすべてを回って、判までついて貰うのを三日ほどでやりました。全戸喜んで賛同してくれました。
 しかし、伊勢湾台風のことなど記憶している人がものすごく少なかったのにはびっくりしました。さらに、その時から20年・・・更に記憶が薄れているのでしょうね。
 カメラは ツァイス・コンタフレックスIV+プロテッサー35mm
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by je2luz | 2007-07-16 11:52 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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