LUZの熊野古道案内

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2007年 07月 02日

熊野の旅 山里 廃坑の町 入鹿

 今は熊野市に入っていますが、二年ほど前までは三重県南牟婁郡紀和町でした。さらに50年程前には三重県南牟婁郡入鹿村でした。その頃にはまだ人が一杯居ました。飲み屋はもちろんのこと、映画館もあった結構にぎやかな村でした。
 その山の中の村を目指して、木本や新宮の商売人が荷物を担いで売りに入りました。それを元のおきな店を構えた人も居るのです。
 それを支えたのは古くから銅を産出したと言われている『入鹿銅山』です。
 こうした鉱山の町の宿命で閉山になるととたんに支えるものが無くなり人口が一気に減少します。北海道の夕張、歌志内など炭鉱の町も同様です。
 流れ者が多くて住民登録など無いものも多く、実際菜何人居たか良く分からないといわれるのですが、一万人を超えたと言われた物です。今では8割がた減少してしまいました。
 基幹道路の国道311号線の整備が進み、熊野市、新宮市が三十分ほどになりました。通勤圏内ですね。
 これは田舎のどの場所でも起きるのですが、こうして、道路が良くなると過疎に弾みがつきます。
 親は地元に住んで欲しいのですが、子供には出て行きよい口実が出来たのです。

 『なんぞあったら、電話してきたらええのに・・・三十分も掛からんと来れるんやさか・・・』
 『田圃はどうするんや?』
 『こんなちっちゃい田圃なら、日曜日に通うてでも出来るのに・・・』
 『・・・』
 『それに、同級生も居らんような学校に子供を入れたくないし。塾も無いじゃろが・・・』
 『・・・』
 『家建てるんでも、土地代以外はここに立てても一緒じゃろう?』
 『そりゃそうじゃ・・・』
 『よそへ行かんと地元に残っただけでも有難いと思うてもらわんと・・・』
 『ありがたいとおもてるよ』
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 などというような感じで、よそへは行かないけど、街に出てしまいます。
 都会の人は、田舎の景色を見て『こんな良い所に住まないで、どうして町に出るの?』とか言いますが、肉も魚も売っていない田舎での暮らしは、若い嫁さんにはつらいことなのです。町に出たからってそんなに遊ぶところなんて無いのですがね。
 そして、残るはお年寄りばかり・・・
 やたらと多かった軽トラも減少するようになりました。立派になった国道を時速30Kmほどで這うように動いている軽四輪トラックには『枯葉マーク』が・・・
 道が良くなったので、そのお年よりも免許さえあれば町のスーパーやホームセンターへ・・・
 そのガソリンもついでに外で入れられるので、山の中のが無くなっても困らなくなったのでしょうかね。
 入鹿の目抜き通りにあったスタンドなんですが・・・
d0045383_8571286.jpg

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by je2luz | 2007-07-02 09:01 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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