LUZの熊野古道案内

je2luz.exblog.jp
ブログトップ
2007年 06月 18日

熊野の旅 幽玄の地・神々の里・石垣の里

 ずいぶん前、まだ大吹峠や松本峠が『熊野古道』などと呼ばれる前の話です。
 と言っても、昭和の終わりごろの話ですが・・・
 熊野市は何度も『コンサルタント会社』に依頼し、大枚をはたいて『観光開発』の診断やカルテを書いてもらいました。
 その中の一つに『熊野は石垣の多いところである』と言うものを売り物にしようと言うのがありました。
 山間部は『丸山千枚田』が代表格ですが、平らなところの無い地形ですから、田圃と言うものは石垣の上にあるものです。そして、一寸した家は敷地の周りに石垣を積んでいます。
 石垣島の石垣のように台風から家を守るほどのものではないのですが、屋敷らしくするためか石垣をめぐらせていました。
 海岸線でも一寸した屋敷はやはり石垣をめぐらせています。
 よその町に比べ屋敷も狭いですから、生垣では目隠しにはならないのですが、庭が狭いのに石垣ですから非常にうっとうしい物です。
 皆さんが熊野市の熊野古道を歩きに来られたら立ち寄られるかもしれない『紀南ツアーデザインセンター』なる休憩所兼熊野の家展示場の屋敷も石垣に守られています。
 ここは、木本町屈指の名門、旧家でしたからその石垣は立派なものです。
 『石垣』を売り物にしようかと言うくらいですから、『石屋』『石工』はたくさん居ました。
 今のようなコンクリート製の『間知石』(けんちいし)であればちょいと習えば誰でも積めます。しかし、自然石を積むのは大変な技術が要ります。石の目を読んで、げんのうで叩いて思うような形に整えて据えて行くのです。
 私が子供の頃にはまだこうした『石屋』はあちこちに残っていました。
 それから少しすると、こうした『石屋』は姿を消し、『石工』は山から石材を切り出す仕事になってゆきました。削岩機で『紀州御影』を切り出す仕事です。これは『白蝋病』の多発を生み今では下火になっています。
 これほど、石にかかわって生きてきた町ですが、今回の石畳工事の敷石を並べる『石工』の居る会社は無いようです。施工は熊野市内の土建屋さんですが、この部分は伊勢の方から石工の会社が来ています。中国製かなんかの人口石の平板を並べるだけなのですが・・・
 半世紀前にはどこにでもいた、『石屋』『桶屋』『籠屋』『提灯屋』などはもうここにはありません。
d0045383_10443214.jpg

 カメラは レチナ2c+カータークセノン35mm
熊野三山と熊野の地図へ   ←←←←をクリックすると案内図が開きます。

by je2luz | 2007-06-18 10:47 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://je2luz.exblog.jp/tb/5637548
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]


<< 熊野の旅 漁村・小泊      熊野の旅 工事は続くよ・・・ >>