今回もテレビの話の関連になります。
テレビの中でも触れられていたことですが、ここを散策にこられる方がイメージされる熊野古道、そしてポスターやパンフレット、テレビで見かける熊野古道の景色は、古のものではないと言うことです。
『蟻の熊野詣』と言われたのは非常に古い話で、平安から鎌倉にかけての話です。
34回も熊野にもうでたとされる後白河上皇、おじい様で9回の白河上皇たちの時代で西暦1100年前後の話です。
鎌倉幕府の100年前、関が原より500年も昔、やじさんきたさんより600年以上も前に話です。
紀州の山々が杉と桧の人工林で覆われるようになったのは江戸時代からだそうです。
今の熊野古道はほとんどの場所が杉や桧の人工林で覆われています。それが、一般的に言われる『趣がある』とか『幽玄の世界』だとか言われるゆえんになっています。
古の人々が、熊野に神々を見、仏を感じた時代の熊野古道はどんな雰囲気だったのでしょうかね。
谷あいには、天然木の杉の巨木が立っていたでしょう。その大きさは今の人工林とは比べ物にならないものだったでしょう。
巨木以外の場所は・・・山間部では温帯性の原生林でしょうね。そして、海岸線では亜熱帯性の原生林もあったでしょう。どちらにしても、道以外はジャングルだったのでしょう。分け入ることも出来ないような自然林の中にはあちこちに獣道が口を開け、今でもたくさん居る熊や猪、鹿のほかに、日本狼まで闊歩していたことでしょう。
まさに、おどろおどろしい景色が取り巻いていたことでしょうね。
それを越えて峠に出た時の景色はほっとするものだったと思います。視界の開けるのは峠かがけっぷちだけだったでしょうからね。
温帯性の照葉樹林の見本のような山が国道42号線佐田坂沿いに広がっています。この雑木山群は炭焼きが無くなり放置されてから50年あまりです。外からは明るい雑木山ですが全く立ち入ることも出来ず、見通しは全く効きません。このままあと100年ほど放置するとかつての熊野の海岸線の山の再現がなされるのでしょうか?残念ながらここには熊野古道は通っていません。
しかし、私が見ても、人工林でも美林の間にある熊野古道の方が熊野古道らしく見えますね。
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