LUZの熊野古道案内

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2007年 05月 17日

熊野の旅 不思議な因習

 熊野市飛鳥町小阪にはどこにでもあるような伝説と因習がありました。
 清流・大又川が流れ、そこのへばりつくように点在するのが飛鳥・五郷とつながる地区です。
 この川は急流が多く、淵の部分はすごく少ないです。それでも、ところどころにあり『鐘つり淵』『丸淵』『長淵』などと名前が付いています。
 集落の無い場所の淵は遊泳禁止でしたが、他の淵は少し流れが緩やかなので水泳場になっていました。
 私たちはこの淵の深いところを『ドンボ』と呼んでいました。
 流れていない淵の深いところはものの3mも潜るとものすごく冷たい水がよどんでいて気味の良いものではありません。しかし、その深みの岩の陰には数は少ないのですが、淵の主のようなウグイが潜んでいることがありました。
 こうした淵の一つ、そして小阪小学校校区で一番の水泳場の『クラモト』には大小二つの淵があり中が良く見えないほどの穴がいくつかあります。
 ここに昔は『ガロボシ』が居たそうです。どんな字なのでしょうね。「ボシ」は「法師」でしょうね。『ガロ』は『河老』『餓老』???要するに河童ですね。
 この河童に牛を引きずり込まれたりして困ったそうです。そして、偉い坊さんが河童に尋ねると・・・『キュウリを作らんかったら、いたずらをせん』といったそうです。
 『キュウリを供えたら・・・』なら分かるのですが『キュウリを作るな』だから不思議ですね。まあ、中にはキュウリの嫌いな河童も居たでしょうからね。
 それ以来ここの右岸側の『平』(だいら)地区だけはキュウリを作らなくなっていました。
 今から二十年ほど前に河童封じをしてキュウリの栽培ができるようになりましたが、随分長い間キュウリを作りませんでしたね。
 こうして因習は守っていたのですが、このクラモトでの水泳はずっと禁止されたことも無く続いていましたね。
 昔々・・・と言っても、キュウリが夏野菜として食べられるように成ったのは江戸時代中後期だとか・・・そんなに古いことではなかったのでしょうね。地獄絵とともに広がった怪物がうまく住み着いたって所なのでしょうか?
 もし、皆さんが熊野にこられて河で泳ぐことになればおそらくここで遊ぶことになるでしょうね。
 別名、『浅見川』とも言うところです。
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by je2luz | 2007-05-17 12:37 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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