ここ木本海岸では昔は春になると地引漁が始まり、大勢の人が集まったものです。最初に見た頃は大きなろくろ?を左右に一つずつ付けて人は廻していました。実にのんびりとした悠長なものでした。
いつの間にか発動機に変わり発動機が網を引っ張るようになってゆきました。そして、効率は良くなったのですが、魚が取れなくなってきて地引網漁が廃れてゆきました。少しの間は『観光地引』と言う形で残っていましたが、年に数回の観光地引のために網や船の資材を維持することも出来ず、網本さんも老齢化してゆきました。
その頃にはこの七里御浜の海岸浸食が目に見えて進行し、深刻な事態になってきました。
対策でただ一つ有効なのは沖合いに『潜堤』を作ることです。
水面下に作るので景観を壊さないで砂利の流失を防ぎ、高潮の勢いも殺すと言うものです。しかし、これを作れば漁礁としての役割も期待できる代わりに地引網漁はできなくなります。
運がよかったのは、ここの地引網の漁業権が主体にはっきりしない漁協ではなく個人であったことです。つまり、廃業に近い地引の権利の買い上げ交渉がスムーズに進んだのです。
どこの海でも、こうした工事のネックは金以上に漁業権補償問題なのです。
今、報道されている漁業協同組合の幽霊組合員、岡に上がった漁師さんやその子孫が組合員に残っているのもほとんどが、何かあったときに保障の分け前に預かれる可能性があるからです。大体、保証金を漁業振興に役立てずに山分けする所が多いからです。
本来、徴収するべき組合費も習慣で取らない漁協も多かったものです。
そうした、夜分名物が無かったので、計画が持ち上がるとすぐに先行して漁業権買い上げが決まったのでスムーズに着工となったのです。
工事が出来るのは波が静かな春先しかありません。
毎年この時期になると海岸近くに大きなクレーンを積んだ『台船』がやってきて、巨大なテトラ?を投入します。
鬼ヶ城側から始まった工事は、今年は終点の井戸川河口付近に投入しています。しかし、完成ではなく、基礎部分の投入が終わった所です。この間、十年ほどです。このピッチだと水面下2mまでの巨大な『潜堤』が築き上げられるのはまだ20年も先でしょうね。
その完成を私が見ることは無さそうです。そして、そのころにはこの家も我が家ではなくなっているのでしょうね。
木本を、熊野を守るにはこの工事しかないでしょうし、この工事が打ち切られることが無い様に祈るばかりです。
『喉もと過ぎれば・・・で、このところ高波の来る台風の襲撃が無いので住民の関心もなくなってきていますからね。困ったものです。痛い目にあうまで分からないのでしょうね。
この、のんびりした春の海の風物詩が消えるのは完成したときにして欲しいものです。