LUZの熊野古道案内

je2luz.exblog.jp
ブログトップ
2007年 02月 09日

熊野の旅 昭和の生活用品 8

 昨日は『箱膳』なるものを取り上げましたが、大体一日に一回しかお茶碗、湯のみ、箸は洗わないと言う不衛生な代物でした。女中さんと言う下働き専門の人を雇っていても、大きな商家などではこれを使ったのは『節約』と言う意味もあったようです。
 節約とは時間の節約と水の節約です。
 都会では割と古くから上水道が普及してゆきましたが、その上水道と言えども各家庭に最初から惹かれていたわけではありません。『共同水栓』なるものが共同で設置され、そこから水を汲んで持ち帰ったものです。お金持ちの家には当然のように自家用水栓が付いてはいまし田が、到る所に蛇口があるというような構造ではありませんでした。
 都市部以外は上水道と言うものはなく、井戸水や沢の水が生活用水でした。
 井戸水がモーターによってくみ上げられるようになってきたのは昭和30年台です。それまでには、ガチャンガチャンという手押しのポンプか10mを越すような深井戸ではこうしたポンプでは上がらないので、ずっと釣瓶(つるべ)を使っていました。
 こうした水の状況では台所でジャーッと水を出して物を洗うなんてことは出来ません。バケツや水桶で水を運び、流し台の横に設置された『水瓶』に入れておきました。
d0045383_11272588.jpg

 残念ながら据えられた所の写真は取れませんでしたが、こうしたカメが流し台の傍には必ずあったものです。家の大きさによってこのカメの大きさは当然変わってきますが、100Lとか150Lとかの大きさです。今ならこれから洗濯機用のポンプででも流しに上げられますが、当時はひしゃくで汲んで使っていましたから、当然のこととして『ため水』での仕事になりました。
 今の奥様がただと一回の食事に使う水の量はこんなものではありませんね。下手すると準備だけでこれ以上になります。
 かめに水を張っておく作業は力も要り大変なものなので、水は大切に使われました。そうしたことも背景にあり、箱膳も生まれたし、箱膳とてそんなに不潔に見えなかったのでしょう。
 それと、農村部では台所の排水も溜められて農地に帰していました。そちらでも水をたくさん使えば労力が要るようになることも水を始末するようになる要因でもありました。洗剤などと言うものの無い時代の台所排水は安全な肥料になった訳です。こうして、水を循環させていたわけです。
 余談ですが、昔は洗い物や飲み水にまで使われていた田舎の川が急速に汚れだしたのは、井戸のポンプの普及から始まり、プラスチック類の進歩で黒い水道管が手に入るようになって自家用水道が山から惹かれるようになり進行が早くなり、行政による簡易水道の設置が止めを刺したのです。
 水道から出るだけの水を溜めて農地に戻すことなの不可能ですから、太いパイプで川に捨てるからです。
 日本は上水道を作りながら下水道を作らなかったからです。当然セットで作らないと駄目だったのです。近年は下水の設置や複合型浄化槽の普及で改善はされてきていますね。
 それでも、流域人口が今の何倍もあった頃の方が川はきれいでしたね。谷の一部は住民が居なくなって本当にきれいになったところも出てきました。(喜んでいいのやら・・・)

by je2luz | 2007-02-09 11:46 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://je2luz.exblog.jp/tb/4703867
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]


<< 熊野の旅 昭和の生活用品 10      熊野の旅 昭和の生活用品 7 >>