日本は古来多神教で万物に霊が宿るとされてきました。
そのため、実に色々な神や仏が祭られてきています。
このあたりでは野仏の類は少ないのですが、吉野・大和路に入ると到る所に何かが祭ってあります。
こうした信仰心からか太地などの捕鯨の盛んだった所では鯨の供養塔などが立てられています。
この写真は飛鳥町にある本乗寺に『木霊塔』が立てられた時の物です。
戦死した親父が写っていますし、その年恰好から、昭和10年くらいでしょうか。
この『木霊塔』と言うものも他の所でも見たことがありますが、『木の霊』を供養するものです。
山からの恵みに感謝するものに『山ノ神』があり、あちこちに祭られていたのですが、どうやら近代的製材所を作って大量に材木を生産始めたので、祖父が供養塔を建立したようです。
先日来時々掲載している古い写真は大体六切りのプリントです。小さな写真からの取り込みではないので写っている人間一人一人の顔も確認できます。しかし、私の年齢ではこの当時の人で判別できるのは顔を知っている祖父と顔は知らないが写真を一杯見ている戦死した親父くらいの物です。
こうした記念写真は新宮から写真屋を呼んだり、木本に出来た『西岡写真館』を呼んだりして撮っています。
こうした写真の原板のガラス乾板もどこかにあるはずなのですが確認できていません。
乾板の保存状態がよければ、今撮ったのと同じくらいに再生できるのですが・・・