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LUZの熊野古道案内

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2007年 01月 29日

熊野の旅 昭和初頭脇の浜

 七里御浜の来たの端、鬼ヶ城の付け根部分を『脇の浜』と呼びます。
 ここは20Kmも続いた砂利浜が終わり志摩半島に続くリアス敷海岸の始まる場所です。
 七里御浜は沖にかけて落ち込みが激しい海岸でさえぎる島も岩礁も無いところで、夏場は波が荒く及ぶには危険な海です。
 ここ、『脇の浜』は突き出した鬼ヶ城がほんの少しだけ波をさえぎってくれるので、本当に少しだけ安全な場所でした。「でした」と書いたのは、今では木本漁港の岸壁が作られ海に入ることは不可能になっているからです。
 このほんの少し静かなところを利用して漁師は船を上げ、巡航船が寄航したのです。
 昔、船がほとんど木造だった頃には全国まさに津々浦々に在ったのが磁場の『造船所』です。
 今は造船所というと巨大なドックがある鋼鉄船を作る造船所が思い浮かぶでしょうが、漁船や小型船が木造だった頃は浜で組み立てていたのです。
熊野の旅 昭和初頭脇の浜_d0045383_1263875.jpg

 この写真も先日来ここに掲載している我が家に残されている大正終わりから昭和初期の記念写真のひとつですが、後ろの風景から『親地町』の木本神社のすぐそばの浜に間違いありません。
 この造船所を見た記憶は無いのですが戦争当時まであったようです。そして、写真に在るように結構大きな船も作っていたようです。
 ここも今のような堤防が無い時代ですが、この高さだと大型台風では波をかぶる可能性のあるところですね。
 このような造船書は先日掲載した『大泊』の浜にもあったそうです。
 近代化されるまでは全国いたるところでこのようにして船が作られ、船だけでなく、味噌や醤油などの日用品まで地場で作られていたのです。
 今のように一流企業のものが全国毒ででも手に入る生活が本当に豊かなのかどうか・・・

by je2luz | 2007-01-29 12:14 | 熊野


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