人気ブログランキング |

LUZの熊野古道案内

je2luz.exblog.jp
ブログトップ
2007年 01月 19日

熊野の旅 古城・鬼ヶ城

 『鬼ヶ城』は太平洋に突き出した小さな岬にある波に浸食されて出来た洞穴の部分を言いますが。その磯の天辺に城跡があります。
 『城』と言ってもお堀をめぐらせ石垣を積み白壁の塀が連なるお城ではありません。それより古い形の山城の跡です。見晴台の要素の方が強いようなものです。
 その部分に東屋が建てられて展望台になっています。
 私に家の前からの写真にはいつも小さく写っている物ですが、南に向かっては物凄く見通しの良いところです。
 この山を最後にリアス式海岸は終わり。熊野川河口までは緩やかな弓上の砂利浜が続き遮る山はありません。地上を移動するものもはるか七里も先から発見できます。
 海を来る船も昔は陸地沿いを来ましたから潮岬を回り太地の梶取岬に掛かればはっきり見えてきます。まさに、物見の場所としては最高の場所です。
 来たからの物はせいぜい足元の磯崎が見えるくらいで全く何も見えないのでそちら側の『猪の鼻』(いのはな)の岬に見張り台を置かなくてはならなかったでしょうね。
 ただ、ここには坂上田村麻呂に滅ぼされた豪族のタガマルのほかに大きな豪族も無く、戦国大名も居ませんでしたから、お城らしいお城が作られることはありませんでした。
 この少し先に太平洋戦争中には在郷軍人が管理する小さな機関砲台があったそうです。
 木本のように小さくて産業も無い町は空襲の対象にはならなかったのですが、パルプ工場のあった新宮は何度も空襲にあい焼かれました。そして、そのついでにグラマン戦闘機が低空で無防備の海岸線を飛んだそうですが、よせばいいのに外剛軍人が「ダダダッ」とやったのだそうです。そのあくる日からグラマンの機銃掃射があり、木本の南の辺りは被弾しました。先日取り壊した家には十数発入っていたそうです。そして、斜め前の家の人が防空壕に入らず押入れに居たため被弾して紺お待ちでただ一人の犠牲者になったそうです。これも、防災の基本を無視したための落命だったようです。
 B29ではなく艦載機からの攻撃だったので焼夷弾が雨のように降ると言うものではなかったため町が焼かれずにすみました。
 紀伊半島は海に突き出していても、防衛線をしく価値もない場所だったようです。
 このパノラマ写真で見える平野がすげてなのですから・・・
d0045383_12132379.jpg

 二枚の写真を合成したものです。
 カメラは スピードグラフィック23
熊野三山と熊野の地図へ   ←←←←をクリックすると案内図が開きます。

by je2luz | 2007-01-19 12:18 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://je2luz.exblog.jp/tb/4587360
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]


<< 熊野の旅 熊野市駅前 今昔      熊野の旅 上から見ると・・・ >>