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LUZの熊野古道案内

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2007年 01月 15日

熊野の旅 昭和16年ごろ木本海岸

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 この写真は昭和8年・1933年1月2日のものです。
 場所は丁度今の我が家のすぐ前あたりでしょう。
 ここ、木本町にはこの写真の背景にある岩山と、さらに少し右奥の山の上にある大きな岩によって、撮影場所が大体特定できるのです。家並みや堤防などと言う人工物はどんどん変化してゆきますが、これらの侵食、風化した大きな岩はたとえ数百年を経過してもさほど変化しませんから…
 この記念写真は祖父が材木商を旗揚げし製材をはじめた頃のものです。昨日の写真はその製材所のひとつでした。
 脇に置かれた板には戦後私の兄が製材業を再興したときと同じ商標がつけられています。
 当時はこうした板類が結構多かったようです。板類は一坪入りで縛るのですが紐は荒縄でした。そして、上の段の職人が乗っているのは角材で当時だと四寸角(12cm)でしょうね。
後ろの瓦屋根は先日取り壊した本家の母屋です。
 この材木倉庫のある部分に今の国道42号線が通っています。
 注目に値するのは、前の石垣です。下の段が護岸で上に切石を二段積み増ししてあります。
 つまり、木本の地盤と堤防の高さは変わらなかったということです。この高さの石垣がこれだけ見えているわけで、今はコンクリート製堤防の基礎部分として砂利にほとんど埋もれています。砂利が減少し始めて再び現れてきていますが、この時代に比べ紀伊半島南端は沈下しているようで、この時代のほうが浜に砂利が多く波打ち際が遠かったそうです。石膏短い周期で紀伊半島の南で隆起と沈下を繰り返しているようです。
 この状態のときに東南海地震が発生して津波がこの建物なども壊したようです。
 今はこの部分に2.5Mほどの堤防が出来ているのですが、伊勢湾台風からこちらでも台湾坊主の高潮で越えた事があります。ほんの20年程前ですが、その事実ももはや忘れられかけています。
 左の建物の屋根は杉皮で葺いてあり、上の乗った大量の石は台風のときに飛ばされないようにあいたものです。戦後しばらくしてトタンが普及してこの敷の屋根は消えてゆきましたが、民家の屋根もほとんどこれだったのです。
 それから、材木は船で大阪方面に運ばれました。その風景を写した写真があったはずなのですが見当たりません。頭に載せて運ぶ『いただき』と言う方法だったのですが・・・

by je2luz | 2007-01-15 11:21 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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