LUZの熊野古道案内

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2006年 12月 07日

熊野の旅 熊野市の都市計画

 地方の小都市とは言え、熊野市も一応『市』ですから、一人前に『総合計画』などというものも策定したり、都市計画などの青写真を作ったこともあります。
 1960年代に入ると熊野市駅の裏側の井戸町にあった、半分沼地のような水田を埋め立てて宅地造成が行われました。
 これは、狭い場所にあった市立木本中学校を背後の山の中腹に移転する工事で出る土石で行うと言う一石二鳥の名案でもあったのです。
 この田圃は土地も低く、元々井戸川の遊水地でもあったので、台風シーズンには井戸川の河口が閉塞すると毎年のように水没していました。まともに米が取れるほうが少ないようなものでしたから、用地買収もうまく言ったようです。おまけに、学校用地造成と言う錦の御旗も用意されていましたからね。
 この土地造成が完成し、更に、その対岸にも造成地が完成すると、手狭な木本町内にあった公官庁は一斉に引越しの計画を立てました。
 『家庭裁判所』『職業安定所』『県事務所』『保健所』『警察署』『郵便局』などが次々と移転し木本からは姿を消しました。熊野市駅の表側では熊野市役所と金融機関だけが残された感じになりました。
 この移転も、あまり、計画的にやられたとは思えず、あちこちに分散してしまっています。赤字債権団体直前だった生まれて間もない熊野市はこの造成地を始め市有地を高く売りぬいて金を返そうと必死でしたから、ゆったりした官庁街など作ってられなかったのでしょうね。高く売れそうな表通りは民間に売り、公官庁には裏側に行ってもらったようです。
 この、大移動と駅裏(赤坂地区)に生まれる住宅地のために、熊野市駅の裏側に改札口を作ろうと言う計画もありました。そのための道路も広場も用意されています。今でもその形は分かりますが、乗降客吸うが見込めないので、国鉄にとってはとても実施できるものではなく、実現しませんでした。
 その代替案として誕生したのがこの連絡跨線橋です。熊野市駅構内の上空を越えて駅前と駅裏を結んでいます。
 近くに線路下を抜ける歩行者用の地下道もあるし、スーパー・オークワの脇の踏み切りも滅多に列車の来ない紀勢本線ですから、何の不自由も無いのでこの橋の利用者は非常に少ないですね。老朽化したときに掛け返されるかどうかもわからない状態です。
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カメラは マイクロコードMk-II
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by je2luz | 2006-12-07 11:45 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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