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LUZの熊野古道案内

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2006年 11月 11日

熊野の旅 補陀落よりは・・・

 昨日は熊野信仰のひとつ『補陀落信仰』に触れましたが、熊野信仰が盛んだったのは室町時代までだったようです。京都に都がある頃には熊野は適当に離れた辺地であり、適当に苦労してお参りできる地でもあったわけです。13回とかお参りした上皇さんもいたようですからね。
 戦国、戦乱の世には、のんびり熊野詣など出来る雰囲気でもなかったでしょう。そして、世が落ち着いて物見遊山気分で神社仏閣にお参りするようになったときには、都は京都とはいえ、日本の中心が江戸に写っていました。
 江戸からは熊野は今でもものすごく遠いのですが、昔はまさに地の果てでした。
 そこで『熊野詣』に代わって登場してkたのが『伊勢参り』です。伊勢講などやって交代にお参りに来たのは『東海道中膝栗毛』でもおなじみですね。
 そのついでに『熊野詣』をしてくれたら、熊野。伊勢街道も賑やかになり、ここ木本なども宿場町になれたでしょうね。ところがどっこい、伊勢に参った人が南下して熊野にくることはほとんどありません。
 もうお参りを済ませているのですから、伊勢の『古市』の遊郭で厄落しをして・・・毛根に余裕のある人は鈴鹿越えで花の京都見物に、金の無い人は江戸へまっすぐ帰ったようです。
 井原西鶴の『好色一代男』の主人公の世之介は色の道を歩むうち、『紀州加陀』とやらまで流れてきたようです。この世之介の最後は『よしいろ丸』に乗って『女護ヶ島』目指して船出していったそうです。船出したのは神無月の末だそうです。丁度今ごろでしょうね。伊豆の国からだそうです。
 熊野の海に出たのでは『色』とは関係の無い『補陀落浄土』に言っちゃうので世之介には具合が悪いでしょう。
 信心心の無い私なら、『渡海舟に乗って補陀落を目指す』より『女護ヶ島』を目指すほうが、無事にたどり着けるなら楽しいかも・・・
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by je2luz | 2006-11-11 13:22 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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