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LUZの熊野古道案内

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2006年 10月 29日

熊野の旅 何がそこにあったのか・・・

 先日載せた小さな呉服屋さんらしき店のあとでもそうですが、人間の記憶と言うものはいい加減なもので、そこのあるときは日常目にして当たり前のものでも、姿を消すと割合とは焼く忘れてしまうものです。
 店舗などはそうして忘れられてしまうものの典型です。買い物したことの無い店はすぐにそれがどんな店はと言うことは思い出せなくなります。
 昨日の写真のような店は看板を見たときは、『ああ、ここに持ち帰り寿司があったんだ・・・』と分かりますが、看板を外してしまったお店は本当に分からなくなります。
 木本の商店は前にも書いたように商売をやめるとすぐに町屋に戻ってしまうことが多いのですが、主がいなくなったりすると締められたままになります。
 店舗と住居が一緒になった尾に背がほとんどですから商売をやめてもそこに住んでいなすから人口は減りません。しかし、どんどん歯抜けになってゆき寂しくなります。
 それでも、統一したような立派な店構えの商店街になっていなかったので半分も店が無いような所まで来てもよそから来ると、一見普通の町並みには見えます。それは、他の地方都市の商店街がなまじ立派な商店街になっていて歯抜けが起きた時に真っ暗でシャッター通りになるからです。そこまで、立派にならなかったことが幸いだったのか???
熊野の旅 何がそこにあったのか・・・_d0045383_11174383.jpg

 珍しくシャッターが付いているこの角の閉められたお店は、服地屋さんだったのか???脇の通り側にはガラスブロックが入っているけど・・・ 珍しくシャッターが付いているこの角の閉められたお店は、服地屋さんだったのか???脇の通り側にはガラスブロックが入っているけど・・・その隣は履物屋さんだったような・・・
 私にはその程度の記憶しかありません。
 十年ほど前にこの商店街をアーケードで覆うような計画を建てたこともあります。既にその頃には商店も減少しているので公費を投入しても負担金の出しようも無く・・・やら無くてよかったと私は思います。通りは真っ暗になるし、薄暗い状態でも電気は垂れ流しだし、防災上も良くないし・・・
 そうなっていたら熊野古道歩きに来た人は今以上に寂しい商店街だと思ったでしょうね。
 この商店街で次の世代の跡継ぎが店に入っているのは数軒だけですね。
 皇紀2600年の記念通りが『ここに商店街ありき』の記念の通りになりそうです。いくら古くなっても世界文化遺産にはなりそうには無いですが・・・
熊野三山と熊野の地図へ   ←←←←をクリックすると案内図が開きます。


 

by je2luz | 2006-10-29 11:26 | 熊野


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