LUZの熊野古道案内

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2006年 10月 10日

熊野の旅 熊野の秋 3 木本祭り・栄町

 木本には字に当たる町名が付いています。
 新出町、井筒町、栄町、親地町などと言うものです。この字名は土地台帳のほうには少し違っていたりしても存在しますが、今の行政上の地名には存在しません。木本町は山林を覗けばものすごく狭い所ですから番地だけで充分なのです。しかし、この小さく区分けして町名と言うものは地元の人間には分かりよいので一般には良く使われます。私などは『新出町の○○』です。などといいます。住宅表示になっていないので、番地で言っても大体の場所でも分かる人のほうが少ないですからね。
 この区分けした町名の一つの栄町は木本のメインストリートの記念通りをはさんだ両側で結構個数も大きなところです。ここも、記念通りが出来て商店が並んだりするまではほとんど田圃だったようです。
 栄町の出し物は『よいや』と呼ばれる神輿のようなものです。子供が乗った輿を担ぎ、『よーいや』の掛け声と共に高々と差し上げるるのです。その掛け声が呼び名になったようです。
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 この『よいや』は肩で担いで気合と共に差し上げると言う結構きつい出し物です。
 昔は町内の若い衆がこれをやり、旦那衆は付いて歩くだけだったのですが、今では跡継ぎの若い衆は居ませんから。旦那衆のはずの人たちも現役を引退できずに担ぎ手に回っています。
 最初のうちは跡継ぎが木本町外の井戸町や久生屋町に家を建てて住むと言うパターンでしたから、祭りの時には帰ってきて参加できたのですが、高度成長以降はそんなものではなく、熊野市から出て都会に住むようになったので祭りだからといって帰ってくることはなくなりました。
 それと、肩を使ったり重いものを持ったりしたことの無い年代になってくると『担ぐ』と言うことも大変なことになってきています。
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 『よいや』は屋根が布団になっています。転倒対策というわけではないのでしょうが少し変わったものです。
 今でこそか継ぎ手の馬力がなくなってきておとなしい物ですが、かつては差し上げるだけではなく、ぐるぐる回ったりし、下に下ろすのもそれこそドスンと落とすときさえありました。乗っている子供も大変だったものと思われます。
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 こうした役をやる子供は当然町内で選ばれます。学年も人数も決まっていますから、昔は選ばれるのが難しいくらいだったのです。今は、町内で賄うのが難しくなっています。
 これは後の記事に登場する『ろっぽ』のほうがもっと深刻な状態です。木本全体で一学年20人を切るくらいですから・・・
上二枚はレチナ3c カータークセノン35mm
下一枚は
WERRA 3 テッサー50mm
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by je2luz | 2006-10-10 13:09 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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