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LUZの熊野古道案内

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2006年 09月 28日

熊野の旅 商都だった木本

 かつて交通が不便であった頃・・・鉄路は天王寺から紀伊木本駅(現熊野市駅)までしか走っておらず、これから先は巡航船で半日かけて尾鷲まで行くことになっていました。国道42号線が作られ矢ノ川峠越えで尾鷲に行けるようになっても全国有数の難所と言われる道を走り二時間四十分もかかったのです。車酔いにかからない人のほうが少ないくらいでした。
 そんなときは全国何処でも『交通の要所』と言われるところは繁盛したものです。それに、都会まで出るなんて夢みたいな時代には山間部などに点在する集落の人の買い物は全部近くの町に出てしていました。
 ここ木本町は汽車の終点にもなりこの辺りの中核として栄えた時代があったのです。
 木本町の本町筋は今では普通の民家が並んでいますが、かつてはお店がずらりと並んでいて、格子のはまった家もほとんどが材木商などの商売をしていたのです。まさに商業の町だったのです。
 土地の狭い所なので大地主なんて居ません、お屋敷もそんなに広いものではありません。京都などのように間口の狭い奥行きの深い敷地に寄り添うように家が立ち並んでいるのです。
 このように商都であった筈なのに『蔵』がある家が少ないのです。敷地の関係で立派な土蔵は作れなかったのでしょうかね。
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 この写真の蔵は木本の旧家の一つの『加田捨』さんの物です。
 『加田捨』さんは大店で間口も広い物です。もちろんこの呼び方は『屋号』です。これだけの大店で蔵があってもよそで見る『蔵』とは少しイメージが違います。台風常襲地区、津波被害の出る所では立派な土蔵を作ることはあまり意味がなかったのかもしれません。
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 壁は杉板が張られています。この辺りの普通の民家の作りになっている蔵です。確かこの辺りも東南海地震の津波が屋敷まで入ったはずです。我が家の隣に立つ実家の離れの床下にも津波の水が入ったそうですから・・・
 この『加田捨』さんは本町通りを歩くと目立つ間口の鉄砲屋さんで、国道側を歩くとお屋敷の売れを利用した小さな居酒屋さんをやっています。熊野古道歩きで松本峠と花の窟を結ぶコースを歩けば表か裏かどちらかで目にとまる家です。
 商都だった筈なのにこうした商売が盛んであったことを偲ばせる物はあまりありません。

カメラは ツァイス・ウェラ3
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by je2luz | 2006-09-28 13:19 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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