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LUZの熊野古道案内

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2006年 06月 11日

熊野の旅 紀勢西線 始発・終着・新宮

 紀勢西線の今の始発駅は新宮です。
 この新宮は字のごとく新しい宮ですが、熊野三山の一つ『速玉大社』のあるところです。速玉大社はすぐそばの『神倉神社』の分かれであるとかは以前に書きました。
 新宮は熊野三山ひとつがあるから門前町として栄えたのではなく、紀州藩の南の端を押さえる出城の新宮城の城下町として地域の中心をなしてきたのです。後に紀州藩から分離して小さな「新宮藩」になったようです。この時の分家に際し、木本の住民が納得せず、幕府の決定を覆すと言う大事が起きたことも以前に木本神社のところで書きました。
 和歌山から100kmほども離れた熊野の地を収めたのですから、小さな出城とは言えそれなりのものだったのだと思います。
 新宮城は『丹鶴城』と呼ばれたようで、城の下の商店街を丹鶴町と呼んでいます。
 丹鶴城は熊野川河口にぽつんと立っている岩山の上に築かれ川からは全く登ることが不能な天然の要塞なのですが、前にも書きましたように、戦国時代もここを欲しがって攻める武将も居ませんでしたからこの利点が生きることも無かったのでしょうね。
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 この坂道の上がお城だったところで、かつては新宮で一二を争う『二の丸』と言う旅館があったものです。その頃の呼び物は下の写真の細い階段部分に『ケーブルカー』が設置されていたことです。単線の短いものですが、まだまだ観光地にケーブルカーなど無い時代に作り、随分客を集めたようです。
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 ここにケーブルカーがあったことも、もう覚えている人は少なくなったのでしょうね。
 このように、昔からこの新宮と言う町は景気の良い町だったようです。当然のように芸者衆もたくさん居て、遊郭も軒を連ねていたそうです。城下町から商業都市へ、そして豊富な材木を背景に進出した『本州製紙』『巴川製紙』『紀州製紙』の三つの紙産業と教科書にまで載っていた材木の集積地と言う産業都市も兼ねた時期もあったのです。今では紀州製紙がかろうじて操業していますが、他の産業は火が消えたようなものです。それと共に商店街も随分勢いがなくなりました。
 そうは言っても、新宮はやはり南紀の中心です。熊野三山のうち『速玉大社』と『本宮大社』はここ新宮駅を基点とします。しかし、この中核の新宮市でさえ人口の減少が始まっています。もはや、山間部から流入するより自然減の方が大きくなってきているのかもしれません。
カメラは レチナ2c+カータークセノン35mm

熊野三山と熊野の地図へ   ←←←←をクリックすると案内図が開きます。

by je2luz | 2006-06-11 05:47 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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