LUZの熊野古道案内

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2006年 06月 05日

熊野の旅 河口閉塞に加え潮の逆流 志原橋 1

 潮の逆流を防ぐように作られた古い橋の内で、残されたもう一本の橋が、熊野市と御浜町の境にある『志原橋』です。詳しくは調べていませんが、様式からするとこちらの方が少しだけ新しいようです。型式は同じものです。
 この橋の熊野市側の入り口に書かれた名札はひらがなで『しはらはし』と書かれています。今式に書くと回文になって前から読んでも「しはらはし」、後ろから読んでも「しはらはし」となります。実際の名札は変体仮名も使ってあり文字では回文にならないようになっています。私はこのひらがなの名札を見て『前からも後ろからも同じだ・・・』と、気が付いたのです。と、言うのも戦前の横書き文字は紀勢線のタイルで書かれた駅名同様右から左に書くものが多いですからね。 『どちらだろう?』と、読んでみるとどちらも同じでした。
 この端の高さで海抜9mの表示もありました。海岸から結構内側に入っていますが、たった9mかと一寸驚きました。
 私の家の前の木本堤防は海抜約13mです。こちらの方が海に近く、背後は住宅地ですし、志原橋の背後地は沼地と農地ですからこんなものなのでしょうね。
 この『志原橋』も今は海側に新しい国道42号線が作られて旧道になっていますが、『緑橋』とは違い道路は通り抜けできるようになっていて、地元の大型トラックの休憩所にもなっているようです。
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この橋の架かる『志原川』も加工が閉塞するし、増水時は河口が切れて浅く見えても足をとられる熊野古道・浜街道の難所でした。ずっと山手に回れば渡れますが、すぐ上流は広大な沼地です。洪水の時でも安心して渡れる橋は待ち焦がれていたものだと思います、
 この橋の御浜町側にはここで行き倒れになった巡礼さんの慰霊碑があります。ここは遠いので遭難の話は聞いたことはないのですが、熊野市内の井戸川の河口が今のような排水用のカルバートになり浜から川が姿を消す前には、河口で足を取られて流された話は戦後になってもありました。
 渡らなくても済む所でも、近いとなると・・・見掛けがほんの膝までしか水がないとなると・・・
 人間は自然を甘く見がちです。砂利浜の怖さも知らなさ過ぎます。砂利浜は波や水の流れがあると足元のしっかりしていたはずのところが削れて行きます。膝までのものが膝を越します。膝を越す流れには最早勝てないのです。更に、河口の波は複雑で素人さんでは岸に戻れません。まして、服を着たままでは・・・
 これは河口でなくても同じことが起きます。少しでも波のある時はよそから来た人は絶対に並の来るところに踏み込まないでください。時々繰る大きな波で流されることもあります。助かれば運がよいと言うことです。七里御浜は海水浴場ではありません。湘南海岸、須磨の海とは違います。
 『緑橋』や『志原橋』がなぜ必要だったか・・・
 それは、ここが熊野の七里御浜だったと言うことです。
カメラは レチナ2c+カータークセノン35mmワイド
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by je2luz | 2006-06-05 07:28 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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