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LUZの熊野古道案内

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2006年 06月 01日

熊野の旅 河口閉塞に加え潮の逆流 緑橋1

 七里御浜に注ぐ川の河口が波によって運ばれた砂利でふさがってしまう河口閉塞について書きましたが、大きな河口閉塞が起きるのは高波の時です。波が大きい分積み上げられる砂利も高くなります。さらにこのときは当然のように波によって塩分が川の上流に遡って来ます。
 高潮と雨は大体つき物ですが川の増水によって冠水するだけではなく、遡った塩水に作物が浸けられてしまいます。
 稲作は水のあるところで行われるとは言え、塩水は大敵です。更に台風シーズンは実りの季節とも重なります。台風の被害を少しでも減らすように今では稲作がどんどん早くなって早場米ばかりになっていますが、それでも台風や低気圧の影響で高い波が押し寄せることもあります。
 昔は今に比べずっと遅かったですから日本に来る台風の全ての影響を受けていました。この辺りは本州に来る台風の影響を受けないわけには行かない場所です。稲が実る頃になると台風によって田圃が浸かってしまう災害は大昔、この辺で稲作が始まった頃から百章衆を苦しめてきたものと思われます。
 熊野新宮間20Kmの間に井戸川、志原川、市木川の三本しかないのですが出口が見出せないから三本だけなのです。これらの川の河口付近は湿地帯になっていました。これは河口閉塞と塩害で田圃にも出来ない場所が一杯あったのです。無理やり田圃にしたところも高低差がないのですぐに潮が来ます。
 どうせ浸かるなら真水の方が被害が少なくてすみます。そこで考え出されたのが防潮水門です。さらに頑丈な水門の上に道路を通すと言う優れた工法が大正初期に発明され、これがこの厄介な七里御浜の川に導入されました。高潮に洗われて普通の橋では流されることもある御浜街道もこれにより完全なものになります。
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 最初に建設されたのは市木川の河口に作られたものです。以前にも書いた『緑橋』がそれです。頑丈な石積みの水門と道路は今も健在です。国道は昭和40年代初めに新しくされ少し河口よりを走っていますが、水門は今も背後の農地を守っています。
 竣工は大正7年(1917)だと思います。大変な何工事だったようですが百年を迎えようかと言うのに立派に働いています。もちろん水門などは修復され当初の鉄製でないのは当然ですが、他は昔のままです。
カメラは レチナ2c+カータークセノン35mm
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by je2luz | 2006-06-01 06:38 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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