木本港のある場所を『脇の浜』と読んでいたことは書いたと思います。
七里御浜に面している木本町では前にきれいな砂利浜があるのですが、夏休みの頃には土用波が立ってきますし、落ち込みがきつくて背の届くところは全くない状態の波打ち際ですから。泳ぐには非常に危険な海です。木本で唯一つほんの数メートルでも背の届くところがあり、潮の流れにも左右されにくいところが、それこそほんの少し鬼ヶ城の磯で守られた『脇の浜』だけでした。したがって、昔は『脇の浜だけは泳いでも良い海』とされてきました。
昔の木本の子供にとってはここが唯一つの海水浴場だったのです。
とは言え、今のように校則がどうのこうの問う言う時代ではありませんでしたし、中学生のガキ大将が幼稚園までを責任を持って引き連れて遊んでいましたから、年齢に応じた指導が行き届いていましたので、全ての浜が海水浴場に化けていました。波が少し出てくるとこの『脇の浜』に集まってくる寸法でした。
私は山間部の育ちですが、木本の今住んでいるところにも家があったので夏休みには時々降りてきて自宅の下の浜で泳いだものです。
私の世代の男の子でこの海を知らない子は居ないわけです。潮の流れの速さや怖さも身をもって知っています。ほんの少し油断すると流されて元の場所には上陸できないし、場合によっては死を意味します。潮の流れもいつも同じと言うわけではなく逆に流れる時もあります。
30分や一時間くらいは浮いていられるようにならないと一人前の男の子ではなかったのです。何年に一回かは犠牲者を出していたようですが、それは地元の子供よりはよそから来て海に入る青年が多かったようですね。
ここが遊泳禁止になってからもしばらくは看板を無視して泳ぐことが多かったのですが、段々と泳ぐこともなくなり今では『遊泳禁止』の看板も立てなくなっていますね。子供がおとなしくなったのか弱体化したのか・・・
写真の埠頭の場所も砂利浜でした。上を走る国道はここにはなく、橋の下に出てくる西郷川も今のように生活廃水を捨てることなくきれいなものでした。
この川も七里御浜のほかの川同様、砂利によって河口が閉鎖されています。砂利の層を通して水が海に落ちて行きます。河口閉塞については次に書きます。
カメラは
ウエルタ・ウエルチ・I
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