旧・南牟婁郡木本町立木本尋常小学校以来、この地方では唯一つの町の学校としてリーダーシップを取ってきた学校でした。少し前に載せた江戸時代の『木本代官所』のあとに作られて校門のそばには『代官松』がたっていました。
町中の学校であったので生徒数も多く、ピーク時には千数百人を数えたものです。運動場は今と同様で100m円形トラックがとりかねるものでしたから、超々過密の遊び場でした。その頃には昼休みに全校生徒が運動場に出ると何も出来ないので曜日ごとに運動場に出ても良い学年が決まっていたのです。それでもボール遊びなどは禁止されていました。
この校舎は生徒数の増加と校舎の老朽化で建て替えられたものです。破産状態にあった熊野市の財政事情もあり、元の校舎のあった場所は売り払われ、今では天理教南紀大教会が建っています。運動場の拡幅以前に金が無かったのですね。敷地の狭さは大都会のど真ん中の学校並です。そして、生徒数の減少も大都会の中心部並み。いやそれ以上です。都会のはドーナツ減少ですが、ここでは過疎が進行しつつある中でドーナツ現象も起きたのですから・・・それに高齢化、少子化・・・
今では昼休み時にここを通っても子供たちがのびのびとサッカーしたり広々と使っています。
一学年20人足らず・・・もうすぐ10人ほどとか・・・
家からも近く、便利なところにあって理想に近い少数学級で・・・いい環境ですが誰も転入して来ませんね。
カメラは
コダック メダリスト
フィルムは期限が1967年と言う普通は廃棄処分になるものです。白黒フィルムは40年経っても一応使えます。あくまでも、一応・・・ですが。